クラブ一筋26年で引退「移籍は考えたことない」 名門にこだわりも…一度だけ出くわした“意外な場所”

引退を発表したベレーザの岩清水梓【写真:(C) WE LEAGUE】
引退を発表したベレーザの岩清水梓【写真:(C) WE LEAGUE】

大柄ではないからこそ努力で身につけた長所

 今シーズン限りでの引退を発表した日テレ・東京ヴェルディベレーザのDF岩清水梓。12歳で下部組織に入り、10代からチームの中心として活躍。なでしこジャパン(日本女子代表)では世界一に貢献するなど、ディフェンダーとして数々の栄光を手にしてきた。39歳までベレーザ一筋でプレーを続けた彼女の足跡を振り返る。

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 岩清水という選手を語る上で欠かせないのは、飽くなき向上心とここ一番での圧倒的な勝負強さだ。それは、彼女と最初に出会った16歳の時から変わらぬ印象である。

 まだ高校生だったときに名門ベレーザのDFとしてリーグ戦の出場機会を得ると、チャンスをしっかりと掴んで瞬く間に欠かせない存在となった。身長162センチは決して大柄ではないが、読みが鋭く、ピンチの芽を的確に潰すことができた。読みの良さは、セットプレーにも活かされ、攻守両面でチームの勝利に貢献してきた。

 2006年になでしこジャパンに選出され、初スタメンとなった同年5月のアメリカ女子代表戦では開始直後の前半3分にゴールを決めて存在感を示した。12月の広州アジア大会決勝・北朝鮮戦では、豪快なヘディングシュートで日本の初優勝に貢献した。

 本人は「偶然ですよ」と笑ったが、東京NBの下部組織のメニーナの監督として彼女を中学生のときから育ててきた寺谷真弓さん(東京ヴェルディアカデミーダイレクター)は、彼女の本質をこう見抜いていた。

「昔から、タイトルが懸かった試合やここ一番の場面で必ず得点を決めてくれて、何度も助けられました。与えられたチャンスをものにできる強い選手でしたね」

 それは、毎日の練習後も遅くまでグラウンドに残って鍛錬を積んできた賜物であった。寺谷さんは「決して上手いと言える選手ではなかった」と言うが、ディフェンダーに必要とされる技術を身につけていった。照明が消えるまで努力を重ねて、タイミングよく相手の懐に入る“対人の強さ”と落下点に入る“空中戦の巧みさ”を身につけていった。

 それから、彼女と話すたびに驚くのは、「サッカー知識の豊富さ」と「プレーを言葉で表現できるクレバーさ」だ。試合後のミックスゾーンで丁寧に語る姿は長年変わらない。現役選手でありながらも解説者を務めることができたのも、勉強熱心であるからこそだとつくづく思う。

 岩清水は緑のユニフォームに袖を通して26年が経った。かつて、移籍について考えたことがあるか尋ねると、「考えたことがない」と真顔で言っていた。それでも、一度だけ意外な場所で彼女と出くわしたことがある。それは、2010年ドイツでのことだ。

 なでしこジャパンの同僚だったFW安藤梢(三菱重工浦和レッズレディース)が当時所属していた女子ブンデスリーガの強豪クラブであるデュイスブルクの練習に参加していた。短期間ではあったが、女子ワールドカップ(W杯)2連覇中のドイツ代表のFWインカ・グリングスらと対峙する機会を求め、自らの技術を磨いた。

 2011年に24歳にして、ベレーザのキャプテンマークを巻いた。「まだ年齢的に早いと思う」としながらも、経営問題に揺れてシーズン前に澤穂希さんや大野忍さんら主力のプロ選手が去り、戦力ダウンは免れられない状況でチームメイトと力を合わせながら奮闘した。

「ベレーザはずっとリーグのトップに立ってきた強いチーム。そのベレーザ魂を若い選手に伝えながら、最終ラインから熱いプレーで鼓舞していきたい」と当時語っていた。

母としての夢を叶えても…変わらぬストイックさ

 その年の3月11日、東日本大震災が発生。岩手県滝沢市出身の岩清水は、さまざまな形で「東北のために力になりたい」とプレーと並行しながら、サッカー教室などボランティア活動にも参加。ドイツW杯では、なでしこジャパンが世界一になったときにメッセージをしたためた日の丸を掲げてウイニングランをして想いを伝えた。

 翌2012年のロンドン五輪でも銀メダル獲得に貢献した。決勝でアメリカ女子代表との激闘を終えて、「代表活動の先にあるのは、ベレーザでプレーすること。チームでタイトルを取ることに気持ちを切り替えたい」と、すでにベレーザのキャプテンの顔に戻っていた。

 2019年、33歳になった岩清水は結婚と妊娠を発表した。それは新たな、出産からの復帰という、未知への挑戦の始まりだった。産後の復帰のために、できるトレーニングをしてその時を迎えた。出産前後の変化が大きく、思い通りにいかず試行錯誤の日々が続いたが、母となりピッチに戻ってきた。

 背番号は「22」から、息子の誕生日である3月3日にちなみ「33」へと変わった。

「我が子を抱えながらの選手入場、これが今のわたしの夢です。そしていずれは我が子の手を引いて引退するという光景を思い浮かべながら」という、妊娠発表時に語った夢を、彼女は現実のものとした。

 2024年8月に左膝前十字靭帯損傷の大怪我を負って、復帰には時間を要した。出場時間は限られていたが、ピッチに立てば確かな存在感を見せていた。しかし、「自分の納得のいくパフォーマンスができなくなった。自分の描くプレーとは程遠くなりました」と、ユニフォームを脱ぐ決断を下した。

 引退の理由は、どこまでもストイックな彼女らしかった。

 シーズンも終盤となり、残るは女子アジアチャンピオンズリーグ(ACL)のみとなった。26年間戦い続けたバンディエラの勇姿を目に焼き付けたい。

(砂坂美紀 / Miki Sunasaka)



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