浦和内定も…強豪大で苦しみ「満足してしまった」 選手権ベスト4で燃え尽きた火「思いもしなかった」

桐蔭横浜大から浦和に進む肥田野蓮治の原点「自分に物凄くギャップを感じてしまった」
2025年11月30日、J1リーグ第37節・ファジアーノ岡山vs浦和レッズ。浦和のスターティングメンバーに名を連ねたのは、クラブ史上初の特別指定選手、桐蔭横浜大学4年のFW肥田野蓮治だった。
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0-0で迎えた後半27分、中島翔哉のスルーパスに抜け出すと、左足一閃。デビュー戦初ゴールが決勝点となり、鮮烈な一歩を刻んだ。その直後に臨んだ大学最後のインカレでは悔しさも味わいながら強化ラウンド準優勝を経験。「ここでの4年間があったからこそ今がある」。第1回はFC東京U-18に昇格できなかった悔しさから這い上がり、関東第一高で花開くも、再び大学で苦しむまでの過程を描く。(取材・文=安藤隆人/全4回の第1回目)
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東京都出身の肥田野は中学時代、FC東京U-15深川に所属して高円宮杯JFA全日本U-15サッカー選手権で優勝を経験。しかし、この大会で全試合ベンチ入りこそするも、出場は3試合で出場時間はトータルで40分程度だった。1年を通しても思うように出番を得られず、U-18昇格は見送られた。
「ユースへの昇格は無理だろうなと。なので、高校サッカーに行こうと思っていました」
高校進学時には強豪校2チームからオファーが来ていたが、「関東第一の練習に参加をして、ボールを動かすサッカースタイルが合っていると思いましたし、何より小野貴裕監督の人間性に惹かれました」と、関東第一(東京)を選んだ。
高校ではトップ下や右サイドハーフでプレーしていたが、高校2年生の時には左足のキックの精度とボールを動かす技術を買われて左サイドバックを経験。この年の全国選手権ではMFとしてプレーし、3年生になると再び中盤に戻り、MF笠井圭祐(アルビレックス新潟)から10番を引き継いで磨き上げた攻撃センスを発揮するようになった。
「小野監督は僕の将来を見据えて、自分がどういう選手にならなきゃいけないかとか、通用しないところ、もっと磨かないといけないことを時には厳しく自分に言い続けてくれた。それに応えようと必死で食らいつきました」
高校3年間で身長が8センチ伸び、178センチとサイズ感のあるアタッカーへと変貌を遂げると、高校最後の選手権では2年連続で出場を果たし、これまでの先輩たちがなし得なかった2回戦突破を達成。そのまま一気にベスト4まで駆け上がってチームの歴史を大きく塗り替えた。
「それで満足をしてしまったというか、本当に難しい時期がここから来るとは思いもしませんでした」
大学経由でプロになるために、肥田野は1学年上の笠井や歴代の関東第一10番が進んだ桐蔭横浜大学に進学をした。だが、そこで待っていたのは思うように心に火がつかない自分だった。
実は高校最後の選手権で膝の半月板を負傷し、大会後に手術をした影響で入学から半年間はリハビリを強いられ、サッカーが出来なかった。他の新入部員たちが全力でサッカーを打ち込む中で、「大きく出遅れたと思いました」と肥田野は焦りだけではなく、モチベーションをどこで上げるかという部分で袋小路に入ってしまっていたという。
「なんて言うんですかね…。選手権の後の燃え尽きと言うか、選手権がもの凄く思い出深すぎて、ベスト4まで行くことができて達成感があったというか…。自分がちゃんと考えて選んだチームで、最高の仲間と結果を残せたことに満足をしてしまったのかもしれません。ここに半年間プレー出来なかったことも重なって、どこに明確な目標を持っていいか分かりませんでした」
決してやる気がなかったわけではない。桐蔭横浜大も高3の夏で一度セレクションに落ちながらも、「絶対に入りたかったし、諦めきれなかった」ともう一度懇願して秋に2度目のセレクションに参加して勝ち取ったものだった。だが、心に火がつかない。
「何か本当にふわっとしていて、プロも『なりたいな』という程度で、そこまで自分の中で具体的なイメージが描けなかった。入学をしてみたら全国各地から聞いたことがある名前がゾロゾロと集まっていて、年代別代表経験者もいっぱいいて、かつサッカーが出来ない自分に物凄くギャップを感じてしまったんです」
周りの選手の存在感と自分の現在地の差に飲み込まれそうになってしまっていた。それでも「プロになるためにここに来たんだ」と、埋もれてしまいそうになっている自分を必死で持ち堪える日々だった。
葛藤は復帰してからも続いた。1年次は1年生チームでもなかなか思うように出番がつかめず、2年生になっても最初はセカンドチームが所属する社会人リーグでも出番がなかった。「なぜなんだ」と苦しんだが、ここで肥田野はある現実に気がついた。
「今までの上の先輩を見たら、3年生までにトップに上がっておかないとプロは厳しい。そう考えた時に、『じゃあ、自分はどうなのか』と。社会人リーグにも出られていない自分が来年トップに入れるわけがないと思った」
些細な気づきだったが、これが肥田野の人生を大きく左右した。「まずは社会人で出番を掴まないといけないと強く思うようになりました」と、これまでおぼろげだった目標が、ぐっと自分の近い場所で明確になったことで、今自分が何をすべきかはっきりとした。
この瞬間、心の奥底で小さな火が灯ったような気がした―。(第2回に続く)
(安藤隆人 / Takahito Ando)
安藤隆人
あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』(共に徳間書店)、など15作を数える。名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクターも兼任。


















