プロ諦め…覚悟した就職浪人「両親と話した」 滑り込みでJ1へ、“新人王”背景にピクシー助言

指導者としての道を歩む小川佳純氏【写真:FOOTBALL ZONE編集部】
指導者としての道を歩む小川佳純氏【写真:FOOTBALL ZONE編集部】

小川佳純氏が衝撃を受けた戦術へのアプローチ

 名古屋グランパスの黄金期を支え、現在は指導者としての道を切り拓く小川佳純氏。2025年度に取得したJFA Proライセンスのため、海外研修の一環でベルギー1部シント=トロイデンVV(STVV)を訪れた。現地で「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じ、13年間のプロ生活で培った勝負師の顔と、引退後に目覚めた戦術家としての顔を見せた。連載の第2回は、名将ピクシーのもとで学んだ“走る”概念について。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞/全5回の2回目)

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 指導者への道を進む小川氏。研修のために訪れた異国の地でプロ入り前後の数年間に話が及ぶと、ふと真剣な表情を見せた。少し考え込んで、“サッカー脳”を劇的にアップデートさせた期間について口を開いた。

 名門・市立船橋高校で厳しいトレーニングを積み、“勝負師”としての土台を築いた小川は、卒業後、伝統ある明治大学へと進学。そこでは高校時代に追求した勝利へのこだわりとはまた異なる、論理的なアプローチ方法が待っていた。

「僕が大学2年生の時から神川(明彦)監督がトップチームを指揮されるようになり、同時に西ヶ谷(隆之/前タイU-23監督)さんがコーチとしてやってきた。神川監督は、明治の象徴『運動量・球際・切替』という三原則を叩き込んで、学業とサッカーの両立を含めた人間教育を重視していた。一方で西ヶ谷さんは、戦術的な『駆け引き』を教えてくれた。相手を見て、逆を取る。頭を使って相手に勝つ。それまではガムシャラに戦うイメージが強かったけれど、西ヶ谷さんの指導で『戦術的に相手を上回る』楽しさを知ったんです」

 西ヶ谷コーチの練習は刺激的だった。練習メニューをただこなすのではなく、自分で噛み砕き、試合のどのシチュエーションに繋がるのかを考える……。プロセスこそが、小川の知的探究心をくすぐった。

「反復練習を繰り返すと、試合中に体が勝手に反応するようになる。『あ、このシーンはあの練習の形だ』と。練習が成功体験に繋がる瞬間がとにかく好きだった」

 サッカーが楽しくなるに連れ、意識するプロの道。チームではレギュラー、関東選抜に入る実力があったが、大学4年の夏を過ぎてもJクラブからのオファーは舞い込まなかった。順風満帆に見えたキャリアに最大の暗雲が立ち込めた。

「4年間、とにかくプロになりたかった。でも、夏にサガン鳥栖の練習に参加させてもらっても決まらなかった。後期リーグで結果を出してどこかに引っかからなければ、次の年は就活をしよう、と。いわゆる就職浪人も覚悟して、両親とも現実的な将来について話し合っていた」

小川佳純氏がストイコビッチ監督からの指導を振り返った【写真:清水啓介/アフロ】
小川佳純氏がストイコビッチ監督からの指導を振り返った【写真:清水啓介/アフロ】

名古屋に入団…出会った2人の指導者

 転機が訪れたのは大学4年の10月。名古屋グランパスから、5月に続いて2度目となる練習参加の打診が届いた。持てる力を出し切り、11月の頭にようやく“内定”を勝ち取った。

「自分としては進路どうしようと不安を抱えていた時期だった。だからか、プロになれた喜びはもちろんあったけど、浮かれた感情はあまりなかった。ようやくスタートラインに立てた。でもここは結果を出さないとすぐ置いていかれる厳しい世界だぞ、と。自分を律する気持ちの方が強かった」

 2007年、名古屋に入団。ここでも小川は、これまでのサッカー人生で経験したことのない欧州の“指導法”に直面し、価値観を180度覆されることになった。

「1年目、オランダ人のセフ・フェルホーセン監督に言われた最初の言葉が『動きすぎだ』だった。これは衝撃でしたね。それまでの僕は、味方を助けるためにピッチの至る所へ走り回ること、相手の背後へ動き続けることが大事だと思っていた。高校、大学まではそれが高く評価されてきたので」

 しかし、オランダ人指揮官の理論は違った。「ここに止まっていろ。そうすれば相手は君に誰がプレッシングに行くか迷う。君がそこにいるだけで、ほかの味方もフリーになる」。シーンごとに練習を止め、理論的にポジショニングの意味を説明された。小川にとって目から鱗が落ちる思いだった。

 続く2008年にはピクシーことドラガン・ストイコビッチ監督が就任。伝説の司令塔だった新監督もまた、小川に“ポジショニングの妙”を徹底した。

「ピクシーもポジショニングには厳しかった。ここにボールがある時にはここでポジションを取ってどこで受けるべきか、とか。事細かに役割を与えられた。それはフェルホーセン監督の教えもあって、自分にとっては非常にしっくりきた。無我夢中に走り回ることにどこか違和感を感じ始めていたタイミングだったので、意図を持って『止まる』ことで相手を困らせる楽しさに目覚めた。その使い分けができるようになったことが、2年目の新人王やベストイレブンという結果を出せた要因だと思う」

 プロ2年目では33試合に出場して11得点11アシストという驚異的な数字をマーク。「新人王」を獲得した。Jリーグベストイレブン入りも果たし、シーズンの“顔”となった小川だったが、今はその実績を冷静に、厳しく分析した。

「あの2年目の結果は、正直できすぎだった。自分の実力に見合っていなかった。だからその翌年、翌々年に苦労した。なぜあの時は上手くいったのか、なぜ今は上手くいかないのか……。その問いに向き合い続けたことが、今の指導者としての視点に繋がっていると思う」

 成功の真っ只中にいながら、自らを客観視し、論理的な答えを探し始めていた小川。名将たちから授かった“意図的なプレー”という名の武器は今もなお生きている。

(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)

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