J初の“先駆的”チームを誕生させた名門 関係者が称賛も…寄せられた「障がい者を利用するのか」

Jリーグクラブ初の知的障がい者サッカーチーム
今から21年前、Jリーグクラブ初の知的障がい者サッカーチームが横浜で生まれた。「横浜F・マリノス フトゥーロ」。エポックメーキングなチームはいかにして誕生し、所属する選手にどのような役割を果たしてきたのか。関係者らの声からは、競技だけに留まらない社会的意義の大きさをうかがい知ることができる。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・山内亮治/全3回の1回目)
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「マリノスは障がい者を利用するのか」
2000年代初頭、Jリーグクラブとして初となる知的障がい者サッカーチーム設立という先駆的な出来事に批判の声が寄せられた。もちろん、「うちの地域ではとてもそんなことはできない」と同じサッカー関係者から新たな挑戦への称賛もあった。東京パラリンピックを機に障がい者スポーツへの関心・理解が加速度的に高まったことを思えば、多様性やインクルーシブといった概念が当時の社会においていかに希薄だったかを思い知らされるエピソードである。
そのチームとは「横浜F・マリノス フトゥーロ」(以下、フトゥーロ)。フトゥーロはスペイン語で「未来」を意味する。誰もが障害の有無を超え、身近にサッカーを楽しめるように――。そんな願いが込められた名前だ。
チーム設立のきっかけは1999年。2002年FIFAワールドカップ・日韓大会の決勝戦開催地が横浜国際総合競技場(日産スタジアム)に決まったことを受け、障がい者スポーツにおいてもサッカーを盛り上げていこうという機運が高まった。そこで、活動の主体となったのが「障害者スポーツ文化センター 横浜ラポール」(以下、横浜ラポール)。電動車いすをはじめ、障害種別ごとのサッカー教室を横浜ラポールで開催するようになった。
数ある障がい者サッカーのなかで、なぜ知的障がい者を対象としたチーム設立へと至ったのか。フトゥーロの立ち上げに関わった小山良隆氏(ラポール上大岡スポーツ課長)は理由をこう語る。
「当事者たちが組織の結成や資金集めなどの活動を主体的に行うことが比較的難しいからです。コミュニケーションや先々を見据えた計画作りを苦手とするのが彼らの障害特性の1つでもあるので、サポートを継続的に行う必要性を強く感じました」
とはいえ、チーム設立は滞りなく進んだわけではない。日韓W杯が閉幕すると、横浜ラポールに割り当てられていた予算が大幅にカット。さらに、今でこそ官民が一体となり事業を展開する状況が当たり前だが、そうした時代背景になかったことの影響も受けた。
「マリノスが協同するとなると、活動用のトレーニングウェアなどにスポンサーのロゴが入ります。これに対し、障がい者スポーツの普及に特定の企業が肩入れしていると受け取られるのではないかと、公平の立場を重んじる行政は難色を示しました」(小山氏)
障がい者スポーツの認知拡大や普及には民間であるマリノスの知名度やノウハウが不可欠である――。小山氏は市にそう訴えかけた。そんなか、2002年頃から潮目が変わる。
当時、横浜市の財政逼迫が呼ばれていたなか、行財政改革を実行すべく民間の力を積極活用する方向に市政方針がシフト。「(フトゥーロの)活動に対する理解も深まり対応が柔軟なものへと変わりました」。また、現役時代は日産自動車で活躍し、後に横浜F・マリノスの監督も務めた木村浩吉氏の言葉が小山氏の背中を押した。
「せっかくだから、横浜だからこそできる、全国のどこでもやっていないことをやろうよ」
そうしてチーム作りが一気に加速したフトゥーロは、2004年に指導者6人・選手約60人とともに活動をスタートさせた。

知的障がい者と集団スポーツ
日本における知的障がい者サッカーの現状はどのようなものか。日本障がい者サッカー連盟によると、現在の競技人口は5645名いるとされ、Jリーグでは横浜F・マリノスに加え水戸ホーリーホックや鹿児島ユナイテッドFCなど5クラブがチームを所有している。この数字は、2025年12月時点で7団体登録されている障がい者サッカーの中で最多である。しかし、その背景にある問題を知ると、競技人口はさらに大きくなる可能性が浮かび上がってくる。
その1つが、理解力にハンデがある障害特性によって引き起こされる“孤立”だ。
「個人競技に比べ団体競技は判断が多く求められ、それが知的障害のある人とっては難しいことです。学校の部活などでは周りよりも理解に時間がかかるため、『できる子』にとって不満の対象となることもあります。そうすると、できない自分に自信を失い、ドロップアウトしてしまう場合があります」(小山氏)
そのため、保護者の間では個人競技の方が良いのではないかという先入観が生まれる。水戸の知的障がい者サッカーチーム「水戸ホーリーホック クノスフェアビデ」で監督を務める加藤貴之氏からは、「高校進学にあたって特別支援学校に通わず定時制や通信制に進むと、サッカーをしたくてもその環境から離れていってしまうことがある」との指摘を耳にした。
それゆえ、サッカーができる受け皿となるクラブが地域に必要なのだ。フトゥーロはこの20年余りに及ぶ活動において、“知的に障害のある人たちの居場所づくり”をチームの哲学としてきた。
「サッカーの楽しみ方はさまざまで、選手それぞれにあった楽しみ方ができる場所としてフトゥーロで長くプレーをしてほしい。参加できなくなると体重が増加したり、外に出なくなったりするメンバーもいるので、外部とのつながりという面でもここは重要な場所だと考えています」(小山氏)
そんな居場所に関して、小山氏には忘れがたい1つのエピソードがある。
「今から8年ほど前、突然起きた発作が原因で亡くなった選手がいます。落ち着いた頃に保護者の方から『あの子がフトゥーロに入って好きなサッカーを最後までできて良かった。フトゥーロが大きな生き甲斐だった』との言葉をいただきました。悲しい出来事ではありますが、彼にとって良き居場所になっていたのであれば本当に良かったと思います」

知的障がい者サッカーが果たす人づくり
居場所だけではなく、フトゥーロは選手の社会生活における大きな支えにもなっている。注力するサポートがある。
「私たちからは保護者に、時間がかかってもいいので最終的には選手1人で練習に来られるようになるためのサポートをお願いしています。すぐにできる選手もいれば、半年かかる選手もいるといった具合に、個人差はさまざまです。時間がかからないに越したことはありませんが、練習に1人で来られるようになるということが、その先のさらなる成長につながるのです。実際にそうした支援の結果、チームメイトと横浜F・マリノストップチームの試合を観に行くことができるようになった選手もいます」(小山氏)
選手もフトゥーロで活動を続けるなかで、自身の変化を実感してきた。フトゥーロトップチームでキャプテンを務める小林佑平(27)はサッカーでの成長が仕事にも生かされるようになったと語る。
「以前は年上の方とのコミュニケーションが怖くて苦手で、自分で何をしたらいいのか分からなくなったことがよくあったんです。ただ、フトゥーロでの活動を続けるうちに、コミュニケーションの課題を克服でき、先を見据えた行動も自主的にできるようになりました。
普段は清掃業の仕事をしていて、現場に出る人たちの配置のバランスを見る管理業務を中心に行っています。サッカーで伸びた力を生かしながら、今では職場でリーダーシップも取れるようになりました」
来年7月からは、民間企業や国および地方公共団体などでの障がい者の法定雇用率の引き上げが決まっている。社会参加の加速が見込まれるなか、知的障がい者サッカーの人づくりに果たす役割は大きい。
(FOOTBALL ZONE編集部・山内亮治 / Ryoji Yamauchi)




















