最下位に沈むドイツ名門「あってはならない」 OBも指摘…苦境の日本人は「なにかを変える選手」

ボルシアMGはバイエルンに次ぐ優勝回数を誇る
1963年に創設され、今季が63シーズン目となるブンデスリーガで優勝が一番多いのはもちろん、バイエルン・ミュンヘンだ。優勝回数34度と、その優勝率は55%にもなる。そんな絶対王者に次ぐクラブがドルトムントとボルシアMGでそれぞれ5回ずつ。ただ近年の戦績に目を向けると、常に上位争いしているドルトムントと比べると、ボルシアMGはかなり苦戦している。
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21-22シーズンを4位でフィニッシュして以降、下降線を転がり、昨季は順位的には10位で終えたものの、終盤7試合連続で未勝利(2分5敗)。チームパフォーマンスには相当疑問の声が上がっていたが、監督人事はそのままで、今季に挑むことに。ただファンの心配は払しょくされず、開幕から低迷。第3節ブレーメン戦を0-4の完敗で落とすと、ゲラルド・セオアネ監督が解任されることになった。後任としてそれまでU-23チーム監督で、クラブOBのオイゲン・ポランスキが暫定で指揮を取り、直後のレバークーゼン戦は終了間際のゴールによる土壇場の引き分け劇に沸いた。
ただこれでスッと浮上するほど、クラブ内、チーム内に巣くっている問題は簡単に解決はできない。続くフランクフルトとのホーム戦では、日本代表MF堂安律やトルコの新鋭MFウズン・ジャンらに完膚なきまでに翻弄されてしまう。後半2分までに喫した失点数は6。堂安ら主力がお役目御免で交代する後半25分までは、2桁失点してもおかしくないほどの展開だった。
この日スタメン出場した日本代表FW町野修斗は、前線で起点になろうとはしていたが、「味方からこのタイミングでパスがくるだろう」とか、「この状況でここへ動いて起点になろう」というのが、チームとしても、町野個人からも感じられないまま、試合が進んでいく。プレーイメージの合致が少ないなかでピッチに立っているときは、どうしても出足が遅くなってしまう。思い切りのいいプレーが見られないまま、途中交代となった。
最終的にフランクフルトがギアをかなり緩めたほか、交代選手が自身のアピールへの思いが強すぎたことも影響し、ボルシアMGは終盤4得点を挙げることができた。ただ試合後、クラブを包む雰囲気はとてつもなく重かった。取材に対応する選手もほとんどいない。
ミックスゾーンで待つ地元記者のもとへ姿を現したローランド・ヴュルクスSDは顔なじみの記者にいつものように挨拶しようとするが、さすがに笑顔が引きつっていた。
「主軸となるべき選手が5人も怪我している。そのうち3人はオフェンスのレギュラー組だ。攻撃面だけではなく、プレスに入るファーストDFとしてもその存在がいない痛手がある」
「今夏は中心選手だったプレアと板倉が移籍した。その穴は大きい。うちの選手はまだ若く、経験豊富とは言えない選手もいる。うまくいかないときには崩れてしまう」
そうチーム低迷の要因を話していたヴュルクスは、翌日、ドイツで有名なサッカー討論番組にビデオ出演した際に同じような主張をしていたが、元ドイツ代表キャプテンで、ボルシアMGでも長くキャプテンを務めたシュテファン・エッフェンベルクに、鋭い反撃にあってしまう。
「話が理解できないわけではない。だがそれだけを理由にするのはいかがなものか?前節レバークーゼン戦はいいパフォーマンスをしていたではないか。主力に離脱者が出るのはどのクラブでも起こりうるし、起こっていること。ホームでファンの声援を受けながら、あのパフォーマンスはあってはならないことだ」と指摘した。
ごもっともだ。それに板倉やプレアが移籍をする可能性は以前からあったのだから、それを見越して準備をするのがSDの仕事なはず。フランクフルト戦後には地元記者からは「今季の目標は1部残留?」という質問が飛ぶと、言葉に詰まる場面もあった。育成監督、育成ダイレクター、そしてSDと約25年間クラブ一筋に尽力してきたヴュルクスSDも結局、その直後に辞任を表明。1人でその責務を担うには、課題が多すぎたのかもしれない。
板倉も感心「ハングリー精神を感じる」
名門クラブとしての誇りは、時に自分たちの立ち位置を見誤らせる要因となってしまう。いま、ボルシアMGは未だ勝利なしの最下位という現実を、まず認めることが大事なのだろう。やるべきプレーを整理し、フランクフルト戦で0-6となっても大声で応援をしてくれたファンに応えるために、懸命に戦わなければならないのだ。
「俺たちは戦う姿が見たいんだ!」
あの日、スタジアムに響いていたファンの悲壮な叫びは、選手に間違いなく届いたはず。翌節のフライブルク戦は0-0の引き分けで終えている。負けなかったこと、無失点で終えたことは収穫。だが、ここから這い上がるのは簡単なことではない。過去のリーグを振り返っても、勝てない流れを断ち切り、順位を上げることに成功したクラブは、並々ならぬ覚悟と取り組みをしていたのだ。それこそ町野は湘南ベルマーレ時代、そしてキール時代に、それぞれ過酷な残留争いを経験している。キールでプレーしたころ、苦しい時期の心の持ちようについて、こんな風に言っていた。
「ネガティブなことは言わない。ポジティブに捉えていくっていうのが大事だと思います。それに、こういう苦しい時に点を取ることができれば、チームの中心としてまたできると思っている。そういうところを意識しています」
ボルシアMG時代に町野と対戦した板倉が、こんな風に評していたのを思い出す。
「他の選手よりもっとアグレッシブだし、なによりゴールを狙ってるじゃないですか。ハングリー精神も感じるし、引いてボールをもらうこともできる。なにかを変えようとしている選手です」
本来自分ができるはずのプレーを新天地ではまだ発揮できていないのは、一番本人がもどかしいだろう。だがキール時代も、思い悩む時期を乗り越えて、自分の成長と向き合って、見事な成長を遂げて、見事ブンデスリーガ初年度で2桁ゴールを達成している。いずれ爆発するときがくる。その瞬間を、待ち望んでいる。
(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)

中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)取得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなクラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国で精力的に取材。著書に『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。






















