2週間前に移籍決定…それでも25歳ストライカーがE-1を“辞退”しなかった理由「大きな活動になった」

山田新は契約の問題もあり、出場できなかった
EAFF E-1選手権の日本代表に選出され、7月8日のホンコン・チャイナ戦(6-1)で代表デビューを果たしたFW山田新は、7月16日の天皇杯3回戦の川崎フロンターレとSC相模原の試合後、記者団の取材に応じた。海外クラブへの移籍を前提とした手続きと準備のため、近日中にも渡欧する山田は、日本代表としてワールドカップ(W杯)を戦うことへの強い思いを口にした。
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J1の川崎はPK戦の末にJ3の相模原に敗れ、3回戦で敗退となった。試合を見届けた山田は、海外移籍を決断した時期を問われると、「鹿島戦の時には、もう決まっていた」と告白。イングランド・プレミアリーグのトッテナムへ移籍したDF高井幸大のラストマッチとなった一戦の時点で、すでに自身も渡欧が決まっていたことを明かした。
鹿島戦後に号泣していたのには、それもあったといい「高井もでしたけど、オレにも選手が(集まって)来ていたので。あの時はもう決まっていました。涙もろくなったというか、泣きやすいといえば泣きやすいですね。今日は泣かずにしゃべれましたけれど、試合も試合だったので、複雑な感情でした。それに(サポーター)みんなの前でしゃべる恥ずかしさもあって、泣きませんでした」と、涙なしのサポーターとの別れを振り返った。
同じく代表帰りのMF大関友翔がベンチ入りして途中出場したが、山田は契約の問題もあり出場できなかったという。そして、移籍を決意した理由については「フロンターレに入る時点で、海外に行きたいという思いはありました。自分の目標であるW杯に出場して、日本代表で優勝するところに向かうのに、そこ(海外移籍)の決断がないと近づけないと思ったので、決断しました。行くことに対しての迷いはありません」と語った。
今回、E-1選手権を辞退して、渡欧を早めることもできたという。しかし、日本代表に入って森保一監督の眼前でアピールすることはもちろん、チームの戦術や戦い方、代表チームの基準などを知る機会も必要だと感じ、E-1選手権出場を決めていた。
その活動について「出場機会はあまり得られなかったですし、香港戦は出られましたが思うような結果は得られませんでした。まだ森保さんの信頼は得られませんでしたが、通用する部分、ほかの選手よりも長けている部分も多く感じましたし、足りない部分も感じました。代表のサッカーを知れたところは、すごく大きな活動になったと思います」と、今回のE-1選手権で受けた刺激を口にした。
川崎からは多くの選手が欧州に渡っている。移籍先として報じられているスコットランド1部セルティックにもMF旗手怜央が在籍する。そうした先輩たちにアドバイスを受けたかと聞かれると、「(話は)聞きました。名前は出せませんが、今後のプランを話したうえで、アドバイスをもらいました。海外に行くにあたっての覚悟であったり、食事だったり、環境面についてです」と、説明した。
5月30日に25歳になった山田は、この年齢での渡欧について「冬の移籍市場までとか、どんどん先延ばししていたら、どんどん行けるタイミングがなくなると感じていたし、年齢を追うごとにそういうオファーも来づらくなると思いました。W杯を考えたうえで、むしろ遅いくらいだと思うし、もうちょっと早く行ければよかったという思いもあります。自分は環境を変えることで成長ができてきた自覚があるので、環境を変えたいと思って決断しました」と、日本を飛び出すことで成長速度を加速させたいと口にした。
パスの出し手と受け手として、良い関係を築いてきたチームメイトのMF脇坂泰斗は、「プライベートで仲が良かったので、そっちの方が寂しい。プレーは別に」と冗談を飛ばしていたが、山田も「もっと良いパスを出せる(選手がいる)と思うので、不安はないです」と、新天地での活躍を誓う。欧州での目標ゴール数などは「まだ具体的な数字はない」と、設定していないというが「得点力もそうですし、それ以外のクオリティも上げないと(日本代表の)メンバーに入れない。一番はゴールですけど、ほかのクオリティも上げないといけないと思っています」と、強い決意を繰り返し、等々力を後にした。
(河合 拓 / Taku Kawai)




















