幻に終わったオーバーエイジ「本田、香川、清武」 五輪直前に起こった史上最大のドタバタ劇

手倉森誠監督が当時のドタバタ劇の舞台裏を明かした【写真:Getty Images】
手倉森誠監督が当時のドタバタ劇の舞台裏を明かした【写真:Getty Images】

【2016年リオ五輪|GL敗退】手倉森監督が直面…海外組だった久保裕也は1週間前の土壇場で招集できず

 4年に1度の大舞台、パリ五輪がついに始まった。今から8年前の2016年に行われたリオ五輪では、ダブルエースの1人だったFW久保裕也を一度は招集するも、所属クラブの事情で本大会に呼ぶことができなかった。チームを率いていた手倉森誠監督(現パトゥム・ユナイテッド監督)が、当時のドタバタ劇の舞台裏を明かし、五輪における選手選考の難しさを語った。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞)

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 MF遠藤航、MF南野拓実らのリオ五輪世代は、今も中心選手としてA代表を牽引している。当時は“最弱”とも称されたが、最終予選を兼ねたU-23アジア選手権で優勝を成し遂げ、アジア王者として五輪への切符を手にした。短期決戦でチーム力を高め、本大会に臨む姿は今のパリ五輪世代とも重なる。

 当時、ダブルエースとして君臨していたのがオーストリア1部ザルツブルクでプレーしていた南野と、スイス1部ヤングボーイズに所属していた久保だった。“海外組”はこの2人だけだった。

 パリ五輪では海外組の本大会出場交渉が話題となり、結局、MF久保建英やMF鈴木唯人の招集が叶わなかった。リオ五輪時も南野、久保とはクラブと念入りに話を進めていたと、手倉森監督はいう。

「南野は最終予選で(五輪出場が)決定したらクラブに戻すとか、本大会でも確か決勝トーナメントは戦えない条件だった。それでもザルツブルクは出してくれて、南野も来てくれた。互いに歩み寄りの交渉じゃなきゃいけないと自分たちも覚悟していたから。まるっきりダメだと言われたら厳しい世代だった。でも、(久保)裕也は(本大会のメンバーに)呼んだけど、直前で突然『来られない』と言われてしまって。俺は『やっぱりそういう世界だよな』と思ったけど、秋葉(忠宏コーチ)とか(佐藤)洋平(GKコーチ)とか早川(直樹コンディショニングコーチ)さんはめっちゃ怒っていたね」

 久保不参加の一報が入ったのが、ブラジルでの事前キャンプ中だった。初戦まで1週間を切ったタイミングで、突如、ヤングボーイズの公式サイトに久保の派遣を拒否する発表が掲載された。UEFAチャンピオンズリーグ予選に出場させたいというクラブからの要望は伝えられていたものの、招集に応じてからの二転三転は日本サッカー協会(JFA)、チームにとって寝耳に水。すぐさま、当時の霜田正浩ナショナルチームダイレクターはブラジルからスイスへ飛んだ。

「霜田さんも電話じゃ諦められない。現地に行って裕也に会って『この場で連れて帰っていいですか?』と聞くまでは諦められない、と。裕也を連れて帰ってくる、とね」

 一度は再検討することになったものの、結果的にヤングボーイズは明確な返答をしないまま。JFAは登録メンバーの変更手続きができる期限ギリギリまで待ったものの、結局、久保の招集を断念するしかなかった。

「俺らの世代はブラジル、地球の裏側で大会があったから、バックアップメンバーも一緒に連れて行っていた。だから(18人の登録メンバーに昇格した鈴木)武蔵もチームとずっと一緒だった。入れ替えがスムーズだったことはブラジルで大会があったからこそかもしれない。あと、やるしかない、となった時にバックアップメンバーがすごくいい姿勢でいてくれていた。毎日、手を抜かないで練習をしっかりして、大会中はロッカールームの掃除もバックアップメンバーがやっていた」

 鈴木武蔵に加えて、バックアップメンバーとして同行していたGK杉本大地、DF中谷進之介、MF野津田岳人は裏方の仕事から、トレーニングまでチームのために行動していた。「バックアップメンバーを誇りだと思ってくれていた」。その力にチームは支えられていた。

 手倉森監督は、久保が招集できていれば「本当は4-3-3の可変システムをやりたかった」という。

【写真:FOOTBALL ZONE編集部】
【写真:FOOTBALL ZONE編集部】

興梠、久保、南野の3トップで世界と戦おうとしていた

「それができる可能性を持つ中盤だった。大島僚太、原川力、矢島慎也がいたから。矢島が右サイドハーフのフリをして実はインサイドハーフになる。裕也がハリルジャパンでもやっていた3トップの右から2トップの一員になるというのを実は描いていた。それができなくなって『武器を1つ減らさなければいけないな』と思った」

 久保の招集が突如として叶わなくなった、という経験は、JFAとしても生かさなければならなかった。2017年10月、東京五輪の指揮官が森保一監督に決まった。当時A代表のコーチを務めていた手倉森監督は2018年3月、ハリルジャパンが臨んでいた欧州遠征の視察に訪れた森保監督を呼び、伝えた。

「東京五輪に出られるように久保(建英)、堂安(律)とは契約を含めてしっかり話しておいた方がいい。自国開催なんだから」

 またオーバーエイジ枠についても助言した。リオ五輪では当初は「本田(圭佑)、香川(真司)、清武(弘嗣)を呼ぼうと思っていた」といい、A代表を率いていたバヒド・ハリルホジッチ監督に直談判もしていた。だが、欧州組の招集は叶わず、国内組の選出にプランを変更。後任の森保監督には「悔いのないように話し合う」ことをアドバイスした。

 リオ五輪はグループリーグで1勝1分1敗に終わり無念のグループリーグ敗退だった。だが、ここでサッカー人生が終わるわけでもない。遠藤や南野のように今でも欧州の最前線でプレーし続け、日本サッカーを牽引している選手もいる。それぞれが抱えた悔しい思いをバネに自らの道を突き進んだ。それがリオ五輪世代だ。

(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)



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