五輪選外、松木玖生のキャリアにどう影響? 葛藤の先に見る“最短ルート”【コラム】
山本NDが言及した「移籍の可能性」 パリ五輪に重なった松木の苦悩
「今の松木(玖生=FC東京)選手は移籍の可能性があります。そういう中で確実に五輪の期間に招集できる確約が取れませんでした。それが(選外の)一番の理由です」
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7月3日のパリ五輪メンバー発表会見で山本昌邦ナショナルチームダイレクター(ND)がこうコメントした通り、松木に関しては今夏の海外移籍優先という形になった。FC東京側は荒木遼太郎、野澤大志ブランドン、松木という3人の派遣にゴーサインを出していたというが、松木の代理人や移籍先候補のクラブ側から「待った」がかかったのではないか。そういう見方が根強いようだ。
松木がパリ五輪に参戦していた場合、7月13日のJ1・アルビレックス新潟戦を終えた後に渡欧し、そこから最大8月9日まではU-23日本代表で活動することになる。となれば、仮に新天地行きが決まったとしても、始動時やキャンプからの合流が困難になり、開幕時の定位置確保が困難になる。
「そんなリスクのある選手は取れない」と移籍先候補クラブから言われてしまえば、本人も代理人も困るし、日本サッカー界としても有望なタレントのステップアップの機会を失わせることになりかねない。そういった危惧があって、JFAサイドと大岩剛監督はリスク回避の意味も込めて松木を選外にし、別の選手を加えた陣容で戦うことにしたはずだ。
チーム立ち上げとなった2022年3月のUAE遠征から主軸を担ってきた松木にしてみれば、複雑な胸中だったに違いない。振り返ってみれば、2022年6月のAFC・U-23アジアカップ(ウズベキスタン)、2023年9月のAFC・U-23アジアカップ予選(バーレーン)、そして今年4~5月のパリ五輪最終予選を兼ねたAFC・U-23アジアカップ(カタール)と、彼はほとんどの公式大会に参戦。時にはキャプテンマークを巻いてチーム全体を鼓舞していたのである。
実際、松木のメンタルモンスターぶりはユース年代の頃から広く知られていた。青森山田高校時代は1年の時から高校サッカー選手権決勝の大舞台に立ち、3年の時には高校総体、選手権、高円宮杯プレミアリーグの3冠を達成。どんな難局に直面しても動じないタフさと強さ、ボランチのみならず、インサイドハーフ(IH)、トップ下、FWと中盤から前をマルチにこなす能力の高さは群を抜いていた。
存在感は2022年にFC東京入りしてからも高まる一方だった。プロ1年目から開幕スタメンを確保し、J1・31試合出場2ゴールというルーキー離れした数字を残すと、2年目の2023年にはU-20ワールドカップ(W杯=アルゼンチン)にも参戦。国際舞台の厳しさを味わい、より世界を渇望するようになった。
昨季、国内復帰した香川真司(セレッソ大阪)が「いい選手だから、海外移籍はどうなっているのか聞いた」と対戦時にコメントしていた通り、20歳の松木が欧州へ出ていくのは時間の問題と思われた。
同じU-20W杯メンバーの同期・佐野航大(NECナイメンヘン)がオランダへ赴いたのだから、松木も当然、そのタイミングで日本を離れるだろうという見方が大勢を占めていたが、本人の思い描く環境や条件を満たすクラブを見出せなかったのだろう。それ以降もFC東京に残留。今年の冬も残留となり、ここまでJリーグでのプレーが続く形になったのである。
FC東京側は松木の海外挑戦に備えて、今季開幕前には同じボランチの高宇洋を獲得。いつ松木が出ていっても崩れない状態を作り上げていた。だからこそ、この夏は本人にとっても「絶対に外に出なければならないタイミング」だったのだろう。
そこにパリ五輪が重なったのだから、本人の苦悩は計り知れない。これまで2年半、チームの看板選手の1人としてやってきた自覚はあっただろうし、藤田譲瑠チマや山本理仁(ともにシント=トロイデン)、同じクラブの荒木らとともに世界を驚かせたいという野心は強かったはず。欧州組で同じように移籍先を模索中の斉藤光毅(ロンメル)も「五輪は世界中の見る目が一瞬にして変わる大会。自分のキャリアにとっても大きなチャンス」と語気を強めていたが、松木も全く同じ思いだったに違いない。
五輪不参加もA代表“看板”選手は多数 大迫や伊東も歩んだ道
それでも、一時の世界大会と今後の長いキャリアを比較すれば、どちらを重視するかは明白だ。賢い彼は大先輩・長友佑都(FC東京)らの足跡を見つつ、さまざまな関係者の意見を聞いたうえで熟考。パリ行きを諦める決断をしたのではないか。パリで活躍していたら、直後のA代表入り、2026年北中米W杯最終予選参戦の道も開けてきただろうが、それも欧州で活躍することで自らつかみ取るつもりなのだろう。
これまでの五輪でも、本大会に出ていない人材が大きく飛躍した例は枚挙にいとまがない。2012年ロンドン五輪世代では、選外となった大迫勇也(ヴィッセル神戸)は2年後のブラジルW杯メンバーに招集。原口元気、柴崎岳(鹿島アントラーズ)らもA代表にステップアップし、2018年ロシアW杯で躍動している。2016年リオデジャネイロ五輪世代でも伊東純也(スタッド・ランス)、鎌田大地(クリスタルパレス)がそこから凄まじい成長曲線を示して日本の看板スターにのし上がった。
今回のパリ五輪世代も、鈴木唯人(ブレンビー)、鈴木彩艶(シント=トロイデン)を筆頭に有力タレントが五輪参戦を断念。A代表に抜擢されたこともあるバングーナガンデ佳史扶(FC東京)、10代から欧州に渡った福田師王(ボルシアMG)、福井大智(アロウカ)らも落選している。が、彼らがこのまま足踏み状態のままとは限らない。五輪に行った選手よりブレイクすることもないとは言えない。2年後の2026年W杯には思いもよらない人材が滑り込んでいる可能性もある。松木にもそこを目指して足元を固めてもらいたい。
果たして移籍先がいつ決まるのか。それが直近の関心事ではあるが、本人は目の前にあるFC東京のゲームに集中する構えを見せているという。今は周囲の雑音が多く、難しい状況に直面しているのも確かだが、もともと怪物的メンタルを備えた男である。物々しい現状も自らの力に変えていくはずだ。
パリ五輪不参加という苦境を乗り越えた松木玖生がどのように変貌していくのか。それを楽しみに待ちたいものである。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)
元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。