久保建英と共闘も挫折… 欧州で戦う24歳日本人MFの転機「もしあの時Jユースに上がってたら」【インタビュー】
ドイツ3部ビーレフェルトで戦う水多海斗、ようやくの時に「(久保)建英が入ってきた」
ドイツ3部アルミニア・ビーレフェルトでプレーする24歳の日本人MF水多海斗は、ドイツ5部から着実にステップアップを遂げ、今季リーグ戦25試合出場で5ゴール5アシスト(第35節終了時)の活躍を見せている。そんな水多の原点はどこにあるのか。日本代表MF久保建英(レアル・ソシエダ)との出会い、FC東京ユース昇格を果たせなかった挫折、鼻を折られた前橋育英高校時代に迫る。(取材・文=中野吉之伴/全5回の1回目)
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誰の人生にもさまざまな分岐点がある。どんな選択がどんな未来につながっているかは分からない。出会いや挫折があり、きっかけがある。自分の下した決断に責任を持ち、目を背けずに歩んでいけるかどうか。そうやって自分の手で未来を切り開こうとしている若者がいる。
「ジュニアユースの3年時にようやく試合に出られるようになったというタイミングで(久保)建英が入ってきたんですよ」
声の主は水多海斗。現在ブンデスリーガ3部のビーレフェルトでプレーする攻撃的MFだ。小学校時代の水多はナショナルトレセンにも選ばれる同世代きっての才能の持ち主と評判が高かった。
「小学校時代は自分にすごい自信を持っていました。全国レベルで評価してもらえて、ナショトレまで選ばれて。ただ中学生になってから身長が伸びなかったこともあって、フィジカルで負けて、ジュニアユースでのサッカーになかなか上手く順応できなかったんです。当時、FC東京のジュニアユースに所属していたんですがずっとベンチで、3年生になってようやくフィジカルでも負けないものが備わってきた時に建英がポンっと入ってきたんですね。もともと建英のことは知っていましたし、僕も上手い奴がいると『あいつには負けたくない』って影響されて。しかもプレースタイルも似ているので感じられるところが多くて楽しかったし、試合に出て結果を残せるようになって、大会で優秀選手に選ばれたりもしました」
今スペイン1部レアル・ソシエダで活躍する日本代表MF久保建英との共闘で確かな感触を掴んだ水多だったが、FC東京のユース昇格には届かなかった。同時期、久保のほか、平川玲(現ジュビロ磐田)をはじめ、将来を期待された選手がいたことで、「活躍するタイミングがちょっと遅かった」という水多は違う道の選択を迫られた。
「大きな挫折でした。前橋育英への入学を決断したんですけど、Jリーグ下部から来てるという、変に鼻が高くなっていた。『1年からスタメンで出てやろう』と思ってたんですが、『いや、俺らは上手い選手は必要ない。頑張れる選手、戦える選手、走る選手を使いたい』っていきなり鼻を折られました。最初はAチームでもプレーさせてもらっていたんですが、『そのプレーはなんだ?』ってBチームでプレーすることになって。Bチームのコーチが厳しくて、そこで本当にいろんなことを学びました」
自分の弱みと向き合うなかで育まれた雑草魂「あの高校3年間がなかったら…」
早すぎる時期に持ち上げられ刺激を受けすぎてしまうと、上手くいかないことに直面した時、できない自分を認めることができず何かのせいにしてしまう、なんてことが起こり得る。適切な自己評価ができず迷子になり、そのままサッカーから離れてしまう子も少なくはない。水多はどうだったのだろうか。挫折を感じていたあの頃、そこにあった感情はなんだったのだろうか。
「高校生というのもあって怒ってたし、他人のせいに、コーチや監督のせいにしてましたね。でも結果的にあの時期にちゃんと客観的になって、『何がいけないのか』っていう自分の弱みと向き合うことができました。それが実を結んで最後の選手権ではスタメンの座を勝ち取れたんです。前回優勝していたというプレッシャーもあって、3回戦敗退で終わっちゃったんですけど」
思い描いていたような“大成功キャリア”ではなかったかもしれない。だが何を「成功」と捉えるかが重要なのだろう。高校サッカーでタイトルを勝ち取ることはできなかったが、それより1人の選手として、そして人間としての“芯”を築く時間を持つことができたのは非常に有意義だったはずだ。
「あの高校3年間がなかったら……。僕個人の場合ですけど、もしあの時、そのままJユースに上がってたら、技術的には上手くなってたかもしれない。でも高校サッカーで培った『雑草魂』というか、そういうところは多分身に付いてなかったんじゃないかなと思うんです。あれがなかったら、今ドイツで上に上がっていくとかっていうのは、多分できてなかったんじゃないかなと。今の僕が持っている基盤っていうのは、高校3年間で学んだことがすべてとは言わないけど、ほぼ占めてると思います」
誰にでも人生の分岐点がある。そこでどんな解釈をして決断をするかは本人次第。逃げることも、やらないこともできる。水多にとっては「もっと成長したい」という思いが大事な決意へと結び付いたのだろう。
そして高校卒業後の進路先として水多は日本国内ではなく、ドイツを選んだのだ。
※第2回へ続く
[プロフィール]
水多海斗(みずた・かいと)/2000年4月8日生まれ、東京都出身。中野島FC―FC東京U-15むさし―前橋育英高―SVシュトラーレン(以降ドイツ)―マインツII―アルミニア・ビーレフェルト。高校卒業後の2019年にドイツへ渡り、当時5部のシュトラーレンに加入。21年にマインツへ移籍し、1部でベンチ入りしたものの出場機会はなかった一方、22-23シーズンにはセカンドチーム(4部)でリーグ戦31試合出場10得点10アシスト。23年夏、かつて尾崎加寿夫、堂安律、奥川雅也らが在籍したビーレフェルト(3部)へ移籍し、今季リーグ戦25試合に出場し、5ゴール5アシスト(第35節終了時)の活躍を見せている。
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。