200人が乱入、時計故障、VIPが観戦…異例の無観客開催05年北朝鮮戦で起きた“事件”の数々【コラム】
ジーコジャパンが2005年にタイで臨んだ北朝鮮戦で起きた
パスを受けた朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)代表の選手との間合いを、MF稲本潤一が一気に詰める。当時はまだ日本に知れわたっていなかった「デュエル」は、言うまでもなくフィジカルに絶対の自信を持つ稲本に軍配が上がる。次の瞬間、こぼれたボールを拾ったDF田中誠が間髪入れずに前線へスルーパスを供給した。
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あうんの呼吸で北朝鮮の最終ラインの裏へ抜け出したのは、後半開始とともにFW鈴木隆行に代わって投入されていたFW大黒将志。ワールドカップ(W杯)アジア最終予選第5戦の勝負の行方だけでなく、ジーコジャパンのドイツW杯出場をも確実なものにした大黒の追加点が生まれた時間を、実はピッチ上の選手たちの大半は知らなかった。
2005年6月8日に行われた北朝鮮戦の舞台となったのは、タイ・バンコクのスパチャラサイ国立競技場。本来ならば北朝鮮・平壌の金日成競技場で行われる予定だった一戦は、同年4月29日に第三国での無観客試合に、5月9日に場所がバンコクに、その5日後には会場がスパチャラサイ国立競技場にそれぞれ決まっていた。
理由は金日成競技場でイラン代表に0-2で完敗した、同年3月30日のアジア最終予選第3戦にあった。
2点を追う後半41分にペナルティーエリア内で、北朝鮮の選手が接触プレーで倒されるもPKは与えられない。判定に激怒した北朝鮮の選手が主審に暴行を加えて一発退場になると、ファン・サポーターも選手たちに呼応。スタンドからピッチへ次々と物を投げ込み、試合後にはスタジアムを数千人が取り囲む大騒動に発展した。
平壌での一戦を危惧した日本サッカー協会(JFA)は同日、アジアサッカー連盟(AFC)に対して、朝鮮民主主義人民共和国サッカー協会(DPRKFA)への安全対策指導を徹底するように要請した。一部観客が暴徒化した状況を問題視したAFCは翌3月31日に、北朝鮮のホーム開催権をはく奪する制裁を科すと示唆していた。
もっとも、スタジアムに関しては当初は5万人超を収容できる、アジア大会のメイン会場にもなったバンコクのラチャマンカラ国立競技場が予定されていた。しかし、大規模なスタジアムが必要のない無観客試合であり、なおかつ警備に人数を要さないという理由で、約3万5000人収容のスパチャラサイ国立競技場に落ち着いた。
ジーコジャパンは6月3日に敵地マナマで、MF小笠原満男のゴールでバーレーン代表に1-0と辛勝。引き分けでも3大会連続のW杯出場を決められる状況でバンコクに乗り込んでいた。この時点で本大会出場を決めていたのは開催国ドイツだけ。北朝鮮戦を前に、ジーコ監督はチームをこんな言葉で鼓舞している。
「世界で最初に予選を勝ち抜いて、W杯切符を獲得する国になろう」
無観客試合は全員が初体験だったが、無人のバックスタンド後方からは実は「ニッポンコール」が響いてきた。日本からはるばる駆けつけた約30人のファン・サポーターが、声援だけでも届けようと集結していたからだ。
心強い後押しを得た直後に、スパチャラサイ国立競技場のピッチに立った選手たちは別次元の違和感を覚えていた。経過時間を表示する電光掲示板の時計が、キックオフからまったく作動していなかったからだ。
正確な経過時間がわからない試合ほど、プレーする選手たちを戸惑わせる状況はない。しかも対戦相手の北朝鮮には、埼玉スタジアムで2月9日に行われたアジア最終予選初戦で苦しめられ、ホームでのドロー発進を半ば覚悟しかけた後半アディショナルタイム1分に、大黒がゴールを決めて2-1で辛勝していた。
仲間たちが動揺せずに、普段通りのプレーをするにはどのようにすればいいのか。3バックの中央で守備陣を統率していたキャプテンの宮本恒靖は動かない時計に気がつき、直後にベンチのスタッフへ大声を出した。
「こまめに経過時間を教えてほしい」
無観客だからこそ声が届く。前半をゴールレスで折り返しても、宮本を介して時間を教えられていたほかの選手たちは焦らなかった。FW柳沢敦が待望の先制点を決めたのが後半22分だったのも、冒頭で記した大黒が追加点を決めたのが、2分間のアディショナルタイムに入る直前の後半44分だったのも、宮本はすべて把握していた。
試合終了後には200人近くの日本サポや地元タイ人が“乱入”
そして、2-0のまま勝利とドイツW杯出場決定を告げる笛が鳴り響く。宮本はこんな言葉を残している。
「勝ってW杯出場権を取りたかったので、正直、ホッとしたのが本音ですね。北朝鮮が引いてきた上に芝生の状態が悪く、自分たちのサッカーがなかなかできなかったなかで、何とか我慢を重ねて相手にチャンスを与えないようにした。厳しい状況のなかでマークした2連勝なので、純粋に嬉しいですね」
バーレーン戦の直前に、MF小野伸二が右足小指の付け根付近の疲労骨折で戦線離脱した。代役に指名された小笠原のゴールで難敵バーレーンを振り切ったものの、バーレーン戦でMF三都主アレサンドロ、MF中田英寿、そしてMF中村俊輔が通算2枚目のイエローカードをもらい、そろって北朝鮮戦に出場できなくなった。
左太もも裏に肉離れを起こし、日本で懸命に治療していたFW高原直泰も間に合わなかった。一方で右ひざを痛めて北朝鮮戦の前日練習をキャンセルしたDF中澤佑二がピッチに戻る朗報もあったなかで、日本はシステムをバーレーン戦で機能していた3-4-2-1から3-5-2に変えて北朝鮮戦に臨んだ。
出場停止となった主力の不在は、先発起用された中田浩二と稲本、そしてダブルシャドーからトップ下となった小笠原が埋めた。しかし、時間の経過とともに、時計の故障以外にも予期せぬ事態が起こる。
メインスタンドではタイサッカー協会が招待した、スポンサー関係者をはじめとする約300人のVIPが観戦していた。そのなかは北朝鮮大使館関係者と称する一団も含まれ、北朝鮮が攻め込むたびに歓声を響かせる。
AFCと国際サッカー連盟(FIFA)が「威信をかける」と公言していたはずの、第三国での無観客試合開催はほぼ有名無実化していた。加えて電光掲示板を見ても経過時間がわからない。カオスになりかけた状況で、宮本がとっさに効かせた機転もあって冷静さを失わなかった日本は、一転して試合終了直後に青ざめている。
バックスタンド後方で声をからせていた日本人サポーターや、ジーコジャパン見たさにスパチャラサイ国立競技場周辺に集まっていた地元タイ人が、警備が甘かった箇所を突いて続々と取材エリアに乱入してきたからだ。その数は総勢200人近くに達していただろうか。危険と判断したタイ警察が取材を強制終了させ、日本の選手たちを帰りのバスへ避難させたなかで、最後は怒声と歓声が飛び交う異様な光景が生まれていた。
(藤江直人 / Fujie Naoto)
藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。