三笘薫、切り札→大ブレイクの“下剋上”なぜ成功? 「ビッグマウス発言」なしの人物像から浮かぶ“異例の出世”理由

カタールW杯ではこれまでにない悔しさを味わった三笘【写真:ロイター】
カタールW杯ではこれまでにない悔しさを味わった三笘【写真:ロイター】

あと3年4か月、次回W杯での躍動を今から見据える三笘

 三笘の大ブレイクを語るうえで、大きな要素に挙げられるのがカタールW杯での悔しさだろう。先日、インターネットテレビで放映された内田篤人氏とのインタビューでも“号泣”に触れられていた。実際に三笘があれほど感情を露にし、人前で泣いたことはなかったという。

 東京五輪の3位決定戦で敗れた時、三笘は冷静だった。しかし、PK失敗で16強敗退となったことに対して語った「直接的な責任がある」という言葉は、本人がこれまで経験したことがない感情の発露だった。

 わずか4試合のW杯本大会で、三笘は先発することがなかった。ジョーカーからの出発、それは慣れている。これまでフロンターレやユニオンSG、そしてブライトンでベンチから先発レギュラーの壁を打ち破ってきた。

「もう4年もない」と三笘は言う。確かに、カタールW杯が変則的な冬季開催だったことを考えれば、北中米3か国共催となる次の大会まではあと3年4か月ほど。そして2026年の大会を29歳で迎える日本代表MFは「次が最後(の大会)になる可能性が高い」と真剣な眼差しで語り、今から自分のサッカー人生のすべてをそこへ向けて集中する。

 W杯を味わったことで、三笘はこの大会こそ世界中のサッカーファンの心を真に振るわせ、感動を与えるものだと実感した。そこでかつてない悔しさを味わって、明確な目標意識も生まれた。

 2026年に輝くために、まずはブライトンでプレミアを制することが先決だ。

「ここでやれないとW杯でも活躍できないというのは重々承知です。コンスタントに試合に出続けて結果を残さないといけないと感じています」

 聡明で用意周到な三笘がカタールで火の玉のような闘志に目覚めた。今後も三笘は自分のすべてを凝縮させて、2026年大会までの3年4か月を駆け抜けるだろう。すでに2026年の日本代表を率いるエースとして同大会を席巻する日を見つめている日本代表MF。そんな日本人の活躍がプレミアで途切れることはない。

(森 昌利 / Masatoshi Mori)



森 昌利

もり・まさとし/1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。

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