野津田岳人、何度も壁乗り越え28歳でA代表初招集 「想像できないような状況で来られてビックリ」
森保監督の“愛弟子”野津田「去年の甲府に行ってから大きく変われた」
日本代表に初招集されたMF野津田岳人(サンフレッチェ広島)が7月22日、オンライン取材に対応した。森保一監督率いる日本代表は、現在E-1選手権に参加中で、国内組26人が臨む。初招集が11人いるなか、リオ五輪世代の野津田もアンダー代表経験があるものの、A代表は初めての選出となった。「1年前から想像すると、想像できないような状況で、来られてビックリしている」と選出には自身も驚きながら「強度のある守備や前から行く姿勢を見せて上で、攻撃で違いを見せてセットプレーのキックなどを見せていければ」と意気込んだ。
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野津田は広島ユースで育ち、2013年に森保監督指揮を執っていたトップチームに昇格。2016年にアルビレックス新潟、17年に清水エスパルス、ベガルタ仙台と渡り歩き、19年、20年は広島に復帰した。だが、主力に定着できず、昨年はヴァンフォーレ甲府に移籍。41試合2得点の活躍で今季は再び広島に戻ってきた。今季はここまでリーグ18試合3ゴールを挙げており、初めて日本代表に選ばれた。
リオ五輪世代で注目され、アンダー代表で実力を積んでいたが、最終的には五輪代表には招集されず。A代表の目標からも遠ざかってた。だからこそ、本人も驚きがあったという。
「ずっと代表になりたい目標は常に掲げていた。1年前から想像すると、想像できないような状況で、来られてビックリしている。今までの状況を考えるとビックリしている部分はあるけど、去年の甲府に行ってから大きく変われたと思う。(19、20年は)広島で2年継続的に出られていない中で、去年J2でたくさん試合に出て試合勘や見るものがたくさんあって、ターニングポイントになったと思う」
28歳で初めて掴んだA代表のユニフォーム。森保ジャパンの常連である浅野拓磨とは広島時代の同期だ。ここまで近くて遠い道のりだった。
「若い時には五輪に出てそのまま(A代表へ)と。五輪(代表)に入れずバックアップになり、その後はクラブでも活躍できなかった。代表に入ることもあまり現実的に考えられていなかった。仙台や広島で活躍して入りたいとは思っていたけど、なかなかできなかった。年齢も今年で28歳、昨季も甲府に移籍であまり考えられていなかった。現状には自分でも驚いている。近年からしたら考えられないところもあった。その分すごくうれしい」
19日に行われた香港戦はJ1リーグで中1日だったため出場せず。24日の中国戦ではボランチとして期待される。
「海外組も含めてもそうだし、今入っている同じポジションの選手もみんなうまい。自分にしかない武器もあると思う。やるべきことは自分にもできるとアピールした上で、強度のある守備や前から行く姿勢を見せて上で、攻撃で違いを見せてセットプレーのキックなどを見せていければ」
広島勢は6人選出されている。「一緒に出るならお互いの良さを分かっている」と自信も持つ。ボランチとして出場を狙う野津田に注目だ。