「人間的に素晴らしい」 元日本代表DFが回想、現役引退の玉田圭司が愛された理由
栗原勇蔵氏が今季限りで引退する玉田圭司との思い出を振り返る
V・ファーレン長崎の元日本代表FW玉田圭司は、今季限りで23年間のプロ生活にピリオドを打った。1999年に18歳でプロデビューを果たした男は、スタイルを変えながらも、なぜ20年以上高いレベルで戦い続けられたのか。リーグ戦で何度も対峙した元日本代表DF栗原勇蔵氏が振り返る。(取材・構成=Football ZONE web編集部)
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習志野高から1999年にプロの世界に飛び込んだ玉田は、柏レイソルで徐々に頭角を現す。スピードに乗ったドリブルを武器に2002年の後半戦からレギュラーへ。名古屋グランパスに移籍した2006年に行われたドイツ・ワールドカップ(W杯)では、日本がグループリーグ3戦未勝利に終わったなか、王国ブラジル相手に鮮烈な先制ゴールを決め、「Keiji TAMADA」の名前を世界に轟かせた。
3歳年下の栗原氏は、玉田に関して「よくやられたなというイメージがあります」と振り返る。
「タマさんは点を取れるし、パスも出せるし、本当にサッカーがうまい。若い頃はドリブルのキレが凄かったですね。相手を見ながら、自分のリズムと一瞬の早さで一気にゴール前まで持っていって、パンチ力のあるシュートも持っている。あの(2006年の)ワールドカップでのブラジル戦のゴールは誰もが覚えていると思います。
タイプは少し違いますけど、家長(昭博)が若い頃にキレキレのドリブラーだったのが、スタイルチェンジしたように、タマさんもどちらかと言うとキレは衰えたけど、技術があるからボールを持って捌くこともするようになった感じ。能力も技術も高いから、いろんな生き方ができた1人だと思います」
2010年にJ1リーグ優勝も果たした名古屋時代以降は、チャンスメイクや直接フリーキック(FK)でゴールネットを揺らすなど、ドリブラーとは別の道を進んだ。栗原氏は、かつてのチームメイトで“黄金の左足”を持つ元日本代表MF中村俊輔(横浜FC)を例に挙げつつ、同じレフティーの玉田についてこのように語る。
「タマさんのキックは、俊さん(中村)とは全然タイプが違います。タマさんは細かいタッチからのドリブル、俊さんはリーチを生かして蹴り返したり、相手の動きを見て対応する感じです。タマさんのようなタイプは研究されてピークが短い選手も多いなか、これだけ第一線で長く戦えた選手はほとんどいないと思います。研究されても、逆にその上を行くことをやっていたのかなと。技術がある人は、年齢を重ねてもできるんですよね」
FWとDFの関係性もあって、ピッチ上で多くの言葉を交わしたわけではなかったが、玉田の人間性の素晴らしさについては栗原氏の耳にも入っていたという。
「マッチアップする機会は結構あって、ファウルしてやり合ったこともあったと思います。ただ、年々丸くなっていったイメージですね。名古屋、長崎で後輩からすごく慕われていたという話も聞きましたし、人間的にも素晴らしい。(41歳の)タマさんも阿部(勇樹)さんや(大久保)嘉人さんのように、まだまだできたと思う選手の1人です」
栗原氏はしのぎを削った先輩に、静かに思いを馳せていた。
[プロフィール]
栗原勇蔵(くりはら・ゆうぞう)/1983年9月18日生まれ、神奈川県出身。横浜F・マリノスの下部組織で育ち、2002年にトップ昇格。元日本代表DF松田直樹、同DF中澤佑二の下でセンターバックとしての能力を磨くと、プロ5年目の06年から出場機会を増やし最終ラインに欠かせない選手へと成長した。日本代表としても活躍し、20試合3得点を記録。横浜FM一筋で18シーズンを過ごし、19年限りで現役を引退した。現在は横浜FMの「クラブシップ・キャプテン」として活動している。
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(FOOTBALL ZONE編集部)