歴代最高の就任後7戦7勝 ドイツ代表監督ハンス=ディーター・フリックとは何者か?

ドイツ代表のハンス=ディーター・フリック監督【写真:AP】
ドイツ代表のハンス=ディーター・フリック監督【写真:AP】

ハンス=ディーター・フリックは28歳で現役を引退

 15年間という長期政権を担っていたヨアヒム・レーブからドイツ代表監督を引き継いだハンス=ディーター・フリックは、順調な船出を切っている。就任後7戦7勝というのは歴代最高の戦績だ。カタール・ワールドカップ(W杯)出場権も危なげなく手中に収めている。

 ドイツを再び世界の頂点へと導く指揮官として期待されているフリックとは、どんな人物だろうか。

“ハンシィ”の愛称で親しまれているフリックは、日本人観光客にも馴染みのある古城と大学街のハイデルベルクで生まれた。地元街クラブでサッカーをはじめ、1981年には当時4部リーグに所属していたサンドハウゼン(現2部所属)へ移籍している。20歳の頃トップチームで素晴らしいパフォーマンスを見せる若者の噂を聞きつけたバイエルン・ミュンヘンのウド・ラテック監督がアシスタントコーチのエゴン・コールデスを試合視察に派遣。試合翌日には契約書へのサインが交わされたという。

 バイエルンでは85年から90年の5年間で4度のリーグ優勝と1度のカップ戦制覇。86-87シーズンにはリーグチャンピオンシップ(現在のチャンピオンズリーグの前身)の決勝へ駒を進めたが、この時は残念ながら準優勝に終わっている。

 その後、ケルンへ移籍するも怪我の影響もあり、多くの試合に出場することはできなかった。28歳の若さで現役を引退。代表歴はなかった。

 96年に地元にあった4部クラブのビクトリア・バンメンタールで指導者としてのキャリアをスタート。指導者としての資質はすでに高く評価され、98-99シーズンには5部降格となったものの、クラブはフリックを手放さそうとはしなかったほどである。

 フリックに注目したのが、ホッフェンハイム会長ディートマール・ホップだ。2000年にホッフェンハイム監督として移籍を果たすと、最初のシーズンで4部から3部へ昇格に成功し、03-04シーズンには3部リーグクラブながらドイツカップで勝ち上がり、ベスト16で強豪レバークーゼンを撃破するなど旋風を巻き起こした。05年にホッフェンハイムを去ることになったフリックは、ジョバンニ・トラパットーニが総監督を務めるザルツブルクでアシスタントコーチになった。

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中野吉之伴

なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。

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