「致命的なミスだった」 名将ベンゲル、監督オファー殺到で“犯した間違い”を告白

アーセン・ベンゲル氏【写真:Getty Images】
アーセン・ベンゲル氏【写真:Getty Images】

フランス代表、イングランド代表、レアル・マドリードなどからのオファーを明かす

 アーセン・ベンゲル氏といえば、アーセナルを率いていたイメージが強い。名古屋グランパスエイトの監督を退任した1996年から2018年まで、実に22年にわたって北ロンドンのクラブを率いていたのだから、無理もないだろう。アーセナルの代名詞的な存在となったベンゲル氏だが、当時、数多くのオファーを受けており、もっと早くに退任するべきだったと語っている。英紙「メトロ」が報じた。

 ベンゲル氏は、アーセナルで指揮を執っていた22年の間に、3度のプレミアリーグ優勝、7度のFA杯優勝、7度のFAコミュニティ・シールドといったタイトルを獲得。そのキャリアで最も有名なのは、2003-04シーズンのプレミアリーグ無敗優勝だろう。

「メトロ」は、11月11日公開のドキュメンタリー映像「アーセン・ベンゲル:インベンシブル」内でベンゲル氏が語った発言に注目している。

 フィルムの中でベンゲル氏は「私は、私とクラブを完全に一体だと思い過ぎてしまった。それが私の犯した間違いだ。自分がいる場所、自分がいた場所を愛しすぎたことが、致命的なミスだった。そのことを後悔している。別の場所へ行くべきだった」と過ちを認めている。

 07年当時、副会長だったデビッド・ディーン氏が離れた際、ベンゲル氏もチームを離れる可能性があったが、彼はクラブに残留することを選択した。「時々、あの無敗優勝で、何かが壊れてしまったのか? と思うことがある。2007年は転換点だった。初めて私はチーム内部にいて、上層部から圧力を感じていた。クラブへの忠誠か、デビッドへの忠誠かで、私は張り裂けそうだった。今でも、正しい決断をしたのか分からない。なぜなら、以前のように戻れなかったからだ。私は『このプロジェクトを締めくくらないといけない』と思うようになっていた」と、最後の10年間は悩みを抱えながら指揮を執っていたことを明かしている。

 ワールドカップが終わるたびに、日本代表の監督候補としても名前が挙がっていたベンゲル氏だが、当時は引く手あまただったことを告白。「私はフランス代表に行くこともできた。イングランド代表の誘いも2、3回、もらった。レアル・マドリードに行くチャンスも2回あった。他にもユベントス、パリ・サンジェルマン、さらにマンチェスター・ユナイテッドからもオファーがあったよ」と、プレミアリーグのライバルからのオファーがあったと振り返っている。

 仮にベンゲル氏が他クラブを率いることになっていたら、プレミアリーグやアーセナルの歴史は大きく違っていただろう。

(FOOTBALL ZONE編集部)



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