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松井大輔、ル・マン時代の”回想エピソード”に海外注目 「いつも怒鳴られていた」
初の海外移籍となったル・マン時代の出来事をフランス紙に告白
Y.S.C.C.横浜のフットサルチームに所属する元日本代表MF松井大輔が、自身初の海外移籍となったル・マン時代をフランスメディアで振り返った。華麗なテクニックを武器に地元ファンから愛される存在となったが、インタビューでは「最初の2シーズンは、いつも怒鳴られていた」とのエピソードも明かされている。
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今夏フットサルへの転身を表明し話題となった松井は、2000年に京都パープルサンガ(当時)でプロデビュー後、海外ではフランス、ロシア、ブルガリア、ポーランド、ベトナムでプレー。04年から4シーズンプレーしたル・マン(フランス)では、加入当時に2部だったチームを1部昇格へ導く中心選手として活躍し“ル・マンの太陽”の異名を取った。
その当時のエピソードを、松井本人がフランス紙「レ・キップ」に対し告白。インタビュー内容が同国紙「Ouest-France」でも紹介され、松井は「日本でもずっと陽気な性格だったので、最初のトレーニングから他の選手、特にアフリカ系の選手たちのところへ行った。彼らは僕をその気にさせてくれて、チームのマスコットのような存在となった。ル・マンはまるで家族のようだった」と振り返っている。
ル・マンでは公式戦130試合に出場し、17ゴールをマーク。華麗なテクニックで敵を翻弄し、観る者を魅了するゴールを決めた松井は地元ファンから愛される存在になり、「ドリブルをしたら、ル・マンのサポーターがすぐに僕を受け入れてくれた。レオン・ボレー・スタジアム(本拠地)では、ドリブルで相手を倒したら”オレー “という声が聞こえてきた」と回想した。
在籍した4年間、攻撃の主力として出番を得ていた松井だが、フレデリック・ハンツ監督(当時)の「好みとは必ずしも一致しなかった」とも指摘している。
「最初の2シーズンは、いつも怒鳴られていた。天才でなくても理解できることです。通訳によると、僕はドリブルをしすぎていたそうです(笑)」と松井。テクニシャンとして腕を鳴らしてきたその実力は当時、高く評価されていた反面、”個人プレー”に難色を示されていた事実も明かしていた。