釜石初のJリーガーが中2で経験した3.11 被災地で夢を支えたサッカーの絆【#あれから私は】

震災当時中学2年生だったヴィッセル神戸DF菊池流帆【写真:Getty Images】
震災当時中学2年生だったヴィッセル神戸DF菊池流帆【写真:Getty Images】

神戸DF菊池流帆が振り返る東日本大震災、中学校の校舎は「とても危険な状態だった」

 2011年3月11日、14時46分。東北地方を中心とした超巨大地震が東日本全域を襲った。未曾有の大災害は日本だけでなく、映像や情報を通じて世界中に衝撃を与えた。サッカー界にも大きな被害をもたらしたあの日、岩手県釜石市で被災したJリーガーがいる。当時中学2年生だったヴィッセル神戸DF菊池流帆。プロサッカー選手になる夢を掴んだ24歳は、21年3月11日で丸10年となるこの歳月を、どのような思いを抱きながら駆け抜けたのだろうか。

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 あの日、菊池は教室で帰りのホームルームが始まるのを待っていた。先生が教室に現れるのを待っていた時、突然大きな揺れが起きた。

「普通に立っていられないぐらい、めちゃくちゃ強い揺れだった。みんなパニックになったような感じで。僕らはただ、先生が来るのを待つだけだった」

 気象庁が発表した釜石市の震度は6弱。場所によっては、体感的にもっと大きな揺れだったかもしれない。菊池自身やクラスメートに怪我はなかったが、学校の窓ガラスは割れ、校舎のコンクリートが剥がれて落下し、「とても危険な状態だった」という。

 数分にも及んだ長くて強い揺れが収まってきた時、一旦、みんなで校庭に避難し、全員がいることを確認すると、全校生徒で学校近くの山に避難した。おそらく、津波の到来を予測した学校側の判断だっただろうが、そこで菊池を含めた生徒たちは家族の迎えを待った。

「実はあまり覚えていないんです。でも、恐怖を感じていたわけでもなかった。情報がなかったので、僕らは津波が来ることも知らなかったし。だから危機感もほとんどなかったんです。電話も通じないし、連絡手段もなかったので、どうやったのか分からないですけど、きっと親から親へと口伝えで僕らが山に避難していることが伝わったのかもしれないですね。ただ僕らは山で、親の迎えが来るのを待っていた感じでした」

 菊池が無事に自宅に着いたのは夕方の5時頃。家族と自宅は無事だったが、電気とガスが止まり、水道だけが生きている状況だった。

 一夜明けた翌日、「衝撃を受けた」と沿岸部を襲った津波の被害を知った。ただ、まだ子どもだったこともあり、菊池はその被害がどれほど甚大なものなのか、どんな影響を与えるものなのか、理解することはできていなかった。

 学校は休校になり、クラスメートや友だちと会うこともできなくなった。情報が遮断されたなか、周りの状況を知ることはできなかった。学校が再開されたのは、震災から3カ月ぐらい経った後のことだった。

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