「あの空気は二度と経験できない」 李漢宰が語る2005年W杯予選、ジーコジャパンとの死闘

李漢宰は北朝鮮代表としてアジア最終予選でワールドカップの出場権を争った【写真:Getty Images】
李漢宰は北朝鮮代表としてアジア最終予選でワールドカップの出場権を争った【写真:Getty Images】

【李漢宰インタビュー|最終回】厳戒態勢で行われた05年2月のW杯予選「日本×北朝鮮」

 在日サッカー選手の中で最長となるプロ生活20年を駆け抜けたMF李漢宰は、2020年シーズン限りで現役引退を決断した。Jリーグ通算349試合出場、北朝鮮代表としても7キャップを刻んだ歴戦のボランチにとって、「一生忘れられない試合」の一つが、自身が生まれた日本で、母国を背負ってジーコジャパンと対峙した2005年2月9日のワールドカップ(W杯)アジア最終予選の日本戦。厳戒態勢の中で行われた当時の「普段とまったく異なる雰囲気」と、「唯一の後悔」について振り返っている。

 ドイツW杯のアジア最終予選で、北朝鮮は日本、イラン、バーレーンと同居。最終的に1勝5敗でB組最下位に終わり、本大会出場権を逃す結果となったが、いずれの試合も熱戦を繰り広げた。

 当時の北朝鮮は国際試合にあまり姿を見せず、その実力が未知数であることから、2005年1月から中国の海南島でキャンプをスタートさせた際には、日本から多くのメディアが詰めかけた。とりわけ、在日朝鮮人3世のMF安英学(当時・名古屋グランパスエイト)と李漢宰(当時・サンフレッチェ広島)に取材が殺到したが、異様とも言える雰囲気は今でも記憶に残っているという。

「普段とはまったく違う光景でしたね。海南島では取材規制をかいくぐって、毎日のように日本メディアが練習場にいました。僕も(22歳と)若かったので、たくさんの“罠”にもかかりました(苦笑)。今振り返れば、北朝鮮代表のいち選手、いち人間だともっと意識しないといけなかったと思います。ただ、そんな異様な空気の中で行われる意義を強く感じていたし、たくさんの人が試合をテレビで視聴してくださると思っていました。在日の選手、在日の人々にたくさんの希望と勇気を与えられる機会にしたい気持ちが強かったです」

 ブラジルの伝説的な選手だったジーコが監督に就任して以降の日本代表は、MF小野伸二、MF稲本潤一、MF中田英寿、MF中村俊輔の「黄金のカルテット」をはじめ、魅力的なタレントが揃っていた。05年2月9日に埼玉スタジアムで行われたW杯アジア最終予選の初戦は、カルテットメンバーでは中村俊輔のみの招集だったが、それでも李漢宰は「ジーコジャパンには素晴らしい選手しかいませんでした」と語る。

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