「絶対止めてやる」 浦和一筋20年のレジェンド、Jリーグで対戦して「楽しかった」2人とは?

1999年にJリーグMVPを受賞したアレックス(2001年の帰化後は三都主アレサンドロ)【写真:Getty Images】
1999年にJリーグMVPを受賞したアレックス(2001年の帰化後は三都主アレサンドロ)【写真:Getty Images】

三都主、ドゥトラとのマッチアップは「すごく楽しかった」

 清水戦というと、1999年のJリーグ最優秀選手賞に輝いたアレックス(2001年の帰化後は三都主アレサンドロ)と対決する楽しみがあった。「すごくいい選手だったから絶対止めてやろうと思った。僕は日本代表や有名な選手との対戦を楽しんでいました。向こうもムキになってかかってきたので、マッチアップするのがすごく楽しかった」と述懐した。

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 1997年から2002年までリーグ戦で9度対戦。このうち7度まで山田氏が右のウイングバックかサイドバック、三都主が左のウイングバックか2列目で先発し、ガチの対面勝負が展開された。戦績は浦和の2勝1分6敗。03年は偶然にも2試合揃って出場停止となり、三都主は04年に浦和へ移籍してきた。

 Jリーグ初得点は1994年の横浜マリノス(当時)との最終戦で、6失点していた後半39分に岡野雅行のパスから決めた。「記念の初ゴールですから覚えています。まあうれしいと言えばうれしいけど、完敗でしたからね」と、それほど興味を示さない。

 だが清水戦での三都主と同じく、横浜F・マリノス戦になるとドゥトラとの勝負を満喫したそうだ。「小柄だけど強くて速くて上手かった。マッチアップしていて楽しかったですよ」と振り返る。トップ下での出場もあったが、基本的には山田氏が右、ドゥトラが左のウイングバックでしのぎ合った。

 1対1の勝負を心底楽しんだ選手はこの2人だけで、ほかにはいなかったという。では対峙しなくても、こいつは止めたい、こいつは手強いと感じた選手は誰だったのか。

「エメルソンのスピードは尋常でない。1人でなんでも打開でき、難しいプレーを当たり前のようにやっていた。技術が高く、すごいシュートばかり。速さへの間合いやマークの付き方など頭を使わないと対抗できないやっかいな選手でしたね」

 コンサドーレ札幌(当時)にいたエメルソンとはJ2時代に3度対戦し、2001年夏からチームメートになった。

 そのほかヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)などで活躍した元ブラジル代表の名を挙げ、「ビスマルクは技術が高く、パスもシュートも凄いと思った」と感心し、川崎フロンターレでJ1とJ2の得点王に輝いたジュニーニョについては「エメルソンに似たタイプで、速さと上手さがあるいい選手でした」と解説した。

 まだまだ大勢の勇者と顔を合わせたはずなのに、「ジョルジーニョやレオナルド(ともに鹿島アントラーズ)、ストイコビッチ(名古屋グランパス)もピンとこないし、エムボマ(ガンバ大阪など)やスキラッチ、ドゥンガ(ともにジュビロ磐田)も特に感じなかった。マッサーロ(清水)、カレカ、ストイチコフ(ともに柏レイソル)もなんとも思わなかった」といったあんばいだ。

 決してのぼせているわけでも驕り高ぶるわけでもなく、それだけの力を秘めた選手なのだ。もっとも相当の手だれでないと、力を出し惜しみしたことは当人も認めている。

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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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