Jクラブから部活への挑戦 高校選手権“優勝”を1年目で達成も…「勘違いしたくなかった」

山梨学院時代、選手と撮った1枚【写真:加部究】
山梨学院時代、選手と撮った1枚【写真:加部究】

【高校、ユース、Jを率いた吉永一明の指導論|第2回】教育実習で一度は瓦解した教員への憧れ

 吉永一明(現・アルビレックス新潟アカデミーダイレクター兼U-18監督)が、指導者の道を志すのは早かった。すでに高校の卒業文集には「選手権に出場して国立へ行く」と記している。福岡大学4年時には、選手と兼任でGKコーチも務め、練習メニューを組み立て、ビデオでスカウティングしたことなどを出場選手たちに伝えていた。

 まだJリーグ創設前のことである。指導者として生きていくとすれば、それは学校の先生を意味した。だが、いざ教育実習をしてみて教員への憧れは瓦解した。日教組を巡る対立に、主役であるはずの生徒たちが振り回される。そんな現実を見せつけられて、ショックのあまり職員室で涙に暮れた。

 時はバブル絶頂期。完全に売り手市場で、仕事は選び放題だった。しかし福岡大の恩師・田村脩の紹介で三菱養和が指導者を募集していることを知り、「サッカー1本で食べていけるなら、こんないいことはない」と飛びつく。

「高校までは指導者に教わった実感がまったくありませんでした。でも福岡大の田村ゼミで球技論を学び、原理原則を踏まえて人に伝えていくことに興味が深まりました」

 やがてJリーグが開幕すると田村は柏レイソルの指導に携わるようになり、吉永も週末には練習や試合を見学するなどプロの世界に触れるようになる。こうして27歳からは7年間にわたりアビスパ福岡のアカデミーで指導を続け、2003年にはS級ライセンスを取得。同期で受講した長谷川健太(現・FC東京監督)から声がかかり、清水エスパルスのコーチ(兼サテライト監督)になり、入団間もない岡崎慎司(現・ウエスカ)らの指導に携わった。

「清水では18歳以降の若い選手たち、つまりプロになるには最後のチャンスを迎える世代を見ることになりました。実際日本サッカーの課題でもあるこの年代を指導するのが、自分にも適していると思っていました。基本的には、なるべく90分間プレーさせるなどゲーム環境を整えることで、力をつけていった選手がいました。しかし引き出しが増えた今なら、もう少しきめ細かなアプローチができました。その後経験を重ねて、完成された選手のイメージから成長過程を逆算できるようになりましたから」

 実は育成指導者の真価は、そこで決まる。アカデミーは、決してトップを目指す指導者の助走や実験の場ではない。

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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