ジョホールバルの“敵将”と日本サッカー 「やる気を引き出す達人」が長野で教えたこと

大袈裟に誉めて選手を伸ばす 「あまりに本気で言い続けるので…」

「就任すると、とにかく自分の主張をする前に、今まで僕が何をしてきたかを丁寧に確認してくれました」

 バドゥはキャプテンを筆頭に個々の選手たちと活発にコミュニケーションを取り、「今、チームはどんな状態なんだ?」「そうか、良い習慣づけをしてくれた」「それは私にはないアイデアだ。どんどん積極的に取り組んでくれ」などと声をかけながら、良いプレーがあれば大袈裟に誉めた。

「例えば、誰かが凄いシュートを偶発的に決めてしまうと、『本当にスペインでプロになれるぞ』などと言い出すんです。もちろん、選手たちも大人なので、そんなんじゃないんだよな、と分かっているんですが、バドゥ監督があまりに本気で言い続けるので、だんだんその気になってくる。実際に誉められて選手たちも伸びていったと思います」

 酒も飲まないし、年齢的に食も細かったが、送迎を務める佐藤と食事に出かけると饒舌で話が止まらなかった。佐藤はインターネットで、日本とイランが対戦した1997年のフランスW杯アジア最終予選第3代表決定戦のビデオを見つけ、プレゼントとして手渡した。

「ありがとう。これ、見たかったんだ」

 まだバドゥは、因縁の試合映像を見直したことがなかったようだ。

 2つのグループに分かれたフランスW杯アジア最終予選で、日本はB組、イランはA組でそれぞれ2位。いずれも途中で監督が代わったが、イランのほうは予選最終戦を終えてから五輪代表監督のバドゥが引き継いでおり、ほぼ準備期間はなかった。しかもマレーシアのジョホールバルは中立地ながら、日本のサポーターに占拠されることが分かっていた。

 そこでバドゥは駆け引きに出る。

「国際舞台ではよくあること。時に勝負の世界には必要なんだ」

 佐藤に、そう説明していたという。

(文中敬称略)

(第2回へ続く)

[プロフィール]
ヴァルデイル・バドゥ・ヴィエイラ(愛称バドゥ)

1944年7月11日生まれ。ブラジル・サンパウロ州生まれ。ドイツのケルン体育大学出身で、同国で指導者ライセンスを取得。1997年フランスワールドカップ最終予選では、日本との第3代表決定戦直前にイラン代表監督に就任。日本には敗れたが、大陸間プレーオフでオーストラリアを下し本大会出場に導く。2006年からは長野エルザサッカークラブ(現・長野パルセイロ)で指導。他にコスタリカ、オマーン、クウェートなどの代表監督を歴任し、2014年にはJ2時代の京都サンガF.C.でも指揮を執った。

(加部 究 / Kiwamu Kabe)



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加部 究

かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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