「やればできる子」「やれば、ね」 殊勲弾の塩谷、恩師とのLINEに込められた自信

塩谷と大松SCの子供たち【写真提供:吉田太治】
塩谷と大松SCの子供たち【写真提供:吉田太治】

「次は代表定着、2022年のワールドカップ出場に向かって全力疾走してほしい」

 塩谷はウズベキスタン戦が行われたUAEのアル・アインで1年半プレーしてきた。森保ジャパンの誰よりも開催地を知り尽くしているが、吉田氏によれば「実は暑さは苦手」だという。それでも、消耗の激しいボランチで工夫しながらプレーしていたと吉田氏は話す。

「小学校はFW、中学・高校はボランチでしたが、ガンガン動くタイプの選手ではなかった。ウズベキスタン戦は入りが“スロー”だなと感じました。でも、それは暑さも考慮したうえでのペース配分だったんだと思います。終盤、他の選手は少しキツそうに見えましたが、司は最後までプレーしきった。しっかり地の利を生かしていたと思います」

 吉田氏は、試合前後に少しだけ塩谷とLINEでやりとりをしたという。プレッシャーをかけすぎないように「やればできる子だから」と一言送ると、「やれば、ね」と返答があり、決勝弾で勝利の立役者となった後の「本当にやればできる子だったね」との祝福に対しては、「そういうことよ」との言葉が返ってきたという。

「リオ五輪では苦しい経験もしたと思います。でも、UAEに行って自分自身を磨き、昨年はクラブワールドカップでレアル・マドリード相手にゴールも決めた。そこから代表復帰、そして初ゴールですから、良い流れに乗りつつあるかなと。次は代表定着、2022年のワールドカップ出場に向かって全力疾走してほしいです」

 国士舘大からJ2の水戸ホーリーホック、J1サンフレッチェ広島とステップアップし、2014年には日本代表にまで上り詰めた塩谷。14年10月の国際親善試合ブラジル戦でFWネイマール(パリ・サンジェルマン)に4ゴールを奪われ、オーバーエイジ枠で出場した16年のリオデジャネイロ五輪でもグループリーグ敗退と挫折を味わった。しかし、17年から日本を離れ、異国の地UAEで挑戦を続けてきた選択が間違っていなかったことを自らのプレーで証明し、30歳にしてそのキャリアは再び右肩上がりの成長曲線を描き始めている。

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