フランス代表が歩んだ協調と内紛の歴史 “移民の子たち”が見据える二度目のW杯制覇

フランス代表に見る“社会の縮図”

 1998年の自国開催ワールドカップ(W杯)でフランス代表が初優勝した時は、当時のジャック・シラク大統領の「出自とは関係なく、我々はすべて共和国の子どもである」という言葉に希望の光があった。

 だが、やがてもう一つの現実を知る。シラクの後に大統領になったニコラ・サルコジは、内相時代にパリの暴動鎮圧にあたって、移民の子らを「社会のクズ」と呼んでいる。そして「クズはクズらしくやる」という応酬の末にパリ郊外で車が破壊され、放火されるのは珍しくもなくなっていった。

 2010年南アフリカW杯、「クズ」扱いされた移民の子どもたちは練習ボイコットを実行した。ニコラ・アネルカのチーム離脱に反対した「仲間」が決起し、全く事態を収拾する能力のないレイモン・ドメネク監督はメディアの前で選手たちの声明文を読み上げる醜態を演じた。

 ドメネクは移民の子たちを全く理解しておらず、内心軽蔑していたことが彼の自伝に書かれている。国家への忠誠、協調の理念を説いても、彼らに届くわけがない。国家と社会に傷つけられ、白い目で見られ、痛めつけられた記憶しか持っていないからだ。ただハングリーだったジダンらの世代とも違い、最初から高額の契約を結び、大勢の連中に取り巻かれ、趣味の悪い高級車に乗って音楽をフルボリュームで流すのが自慢という世代である。

 

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