次代の五輪選手を育てるには “ドリームチーム”を経験した男が考える育成論

 

日本サッカー史に刻まれる“ドリームチーム”の記憶

 

 U-22日本代表が灼熱のマレーシアで2016年リオデジャネイロ五輪出場に向けたアジア予選を戦っている。初戦のマカオ戦ではFW南野拓実(ザルツブルク)の1得点1アシストの活躍などで7-0で圧勝。29日にはベトナムとの第2戦を迎える。

 かつて日本の五輪代表には日本サッカー史上最強と呼ばれたドリームチームが存在した。フィリップ・トルシエ監督が率いた2000年のシドリー五輪代表だ。

 当時はASローマに所属した中田英寿氏や中村俊輔(横浜FM)ら伸び盛りの逸材を揃え、決勝トーナメントに進出。残念ながら8強でPK戦の末にアメリカ代表に惜しくも敗れたが、世界に強烈なインパクトを残した。

 このチームにオーバーエイジ枠(23歳以上枠)で参加した元日本代表の三浦淳寛さんは五輪の記憶をこう振り返る。

「僕はこの4年前のアトランタ五輪に出ることができずに悔しい思いをしていた。年代的には僕よりも1歳年上の世代だったのですが、大会直前のチュニジア遠征でゴールを奪ってアピールした手応えもあった。でも、当時の西野朗監督(元名古屋監督)から選ばれなかった。

 サッカー選手にとって、オリンピックは人生で1度の舞台。サッカーの場合は年齢制限があるので、ある意味ワールドカップよりも厳しいと言われる。五輪とは縁はないのかな、と半分諦める気持ちもあった。でも、Jリーグで活躍して、日本代表に入って、W杯を目指そうと一生懸命練習していた。そこで、当時のトルシエ監督からオーバーエイジでチャンスをいただいた。前向きに高い目標を持ってやることがチャンスにつながるということを実感しましたね」

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