70歳超えで全国制覇「いつまでやるんですか!」 “半世紀以上”も共闘…目指す先は「もうちょっとな」

シニアサッカーでグランドスラムを達成した成田茂さん【本人提供】
シニアサッカーでグランドスラムを達成した成田茂さん【本人提供】

シニア4カテゴリー完全制覇までの道

 70歳を超える成田茂さんは今年、シニアサッカーの全日本大会で4カテゴリーを完全制覇する偉業を成し遂げた。ただ、そこまでの道のりは平坦ではなく、遠かったあと一歩。「全国で勝ったり負けたりした経験をみんなに話すこともあります」。衰えと闘いながらも、栄光の裏には成田さんの経験や創意工夫が。快挙達成のドラマに迫る。(取材・文=加部究/全3回の3回目)

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 東京朝鮮高校(正式名称は東京朝鮮中高級学校)時代に最強伝説を紡いだ成田茂(成炳茂=ソン・ピョンム)は、1学年下で当時チームメイトだった洪光洙(ホン・ガンス)とともにオーバー(O)40、さらにはO-50のカテゴリーで日本一のタイトルを重ねた。

 2人は60歳代になると「心から信頼できる」深澤光賢(みつよし)が創設したLAZOS(ラソス=絆の意)に加入。成田が61歳の時にO-60でも、あっさりと全国制覇を成し遂げた。やがてLAZOSは「CERO=セロ」と名称を変え、成田もポジションをウィングからMFの中央に移し全体の舵取り役に回ると、チームの熟成度、安定度は一段と高まり続けた。その間にはO-70も全日本大会が新設され、成田は4つのカテゴリー完全制覇へ自信に満ちて70歳を迎えた。

 2024年6月、関東大会を制したチームは、全国大会でも順当に勝ち上がり、兵庫県選抜との決勝戦も主導権を握り攻勢を続けた。だが兵庫も粘り強い守備でしのぎ切り、0-0のままPK戦に突入する。

 実はペナルティスポットのゴールへ向かって左側の芝がひどく削れていて、成田はレフェリーに逆側のゴールへの変更を訴えていた。だが先行の兵庫選抜の最初のキッカーはレフティだったので影響を受けずに成功。一方CEROは成田が最初のキッカーを担うが、足を取られてGKの正面を突いてしまう。FKだけでなく流れのなかでもキックの精度に傑出した定評がある成田には、考えられないミスだった。結局兵庫が3人連続して成功したのに対し、CEROは3人連続で失敗。呆気ない結末で、成田は最初のグランドスラム達成(4カテゴリー制覇)の機会を逸した。

「この年まで全日本大会では、連戦を考慮して準決勝と決勝は15分ハーフで行われていました。だからシニアサッカーのアンバサダーを務める金田喜稔さんに『これでは短すぎて守り切られてしまう』と訴え、翌年からは20分ハーフに変更されました。僕も70歳を迎える年でカテゴリー内では最も若かったし自信満々だった。でもそういう時こそ落とし穴がある。良い教訓になりました」

シニアの4カテゴリーの完全制覇を達成【本人提供】
シニアの4カテゴリーの完全制覇を達成【本人提供】

グランドスラム達成のラストピース

 CEROは翌年も準決勝で惜敗してしまうが、ついに2026年には予選リーグから決勝まで5試合を全勝で終え、成田は盟友の洪光洙とともにシニアの4カテゴリーの完全制覇を達成した。

「それまではいろいろとゲン担ぎもしていたんですが、すべてやめて臨みました。大会は宮崎県で行われたのに、自費で応援に来てくれる人たちがいました。本当にありがたいことですが、そこまで応援してくれるというのは、僕らがワクワクさせるサッカーをできているからだとも思います。勝つけれどつまらないではなく、美しく勝つという理想に近づけているのかな、と。そして良いチームには、人も集まってくる。するとさらに良いチームができる好循環が生まれるものです」

 そのためには綿密なミーティングも行い、言葉遣いにも繊細な気配りをしている。

「これまで全国で勝ったり負けたりした経験をみんなに話すこともあります。例えば、スタジアムに着いたら、スタンドとの距離感、周りの景色、陽の陰り具合から芝の状態まで、しっかりと頭に入れる。そういうことをやっているうちに落ち着いてくるものです。また『馬鹿野郎、この野郎』が決して出ないチームを目指しています。個人的なアドバイスをする時でも『こうしろ』ではなく『こうした方が……』という言い方をする。性格が悪くても上手いヤツを連れてくれば勝つことはできますが、そこは逆にプロではないので」

 プレーイングマネージャーとしてピッチ上から采配を揮っていたこともあるが、それではさまざまな状況への対応が間に合わないことを実感。関東大会以降は専任の監督を依頼するようになった。グランドスラム達成のラストピースとして指揮を執ったのは、早稲田大学女子チームを全日本大学3連覇に導いた福島廣樹だった。

 70歳を超え、衰えを感じる部分もある。

「走力、柔軟性、反転やジャンプなどのアジリティーは落ちてきています。でもしっかり管理していけば、あと3年間くらいはトップフォームを維持できそうな気がしています。もっともサッカーの話が弾むと酒も進んじゃうんですけどね」

 快挙達成の瞬間には、半世紀以上も一緒にプレーしてきた洪光洙がおどけて声をかけてきた。

「ヒョンニン(兄さん)、いったいオレたち、いつまで一緒にやるんですか!」

「うん、もうちょっとな……」

 軽く笑みを湛えた成田は、既に3連覇を見据えていた。(文中敬称略)

(加部 究 / Kiwamu Kabe)



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加部 究

かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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