長友佑都「鳥肌が立ってる」 遠藤離脱の衝撃乗り越えた森保Jの確かな進化…堂安律が胸を張る「団結力」

アクシデントが続出した北中米W杯を総括
FIFA北中米ワールドカップ(W杯)で、森保ジャパンは強豪ひしめくグループを突破したものの、決勝トーナメント1回戦でブラジルに敗れベスト32で大会を去った。開幕直前の主将・遠藤航の離脱や主力の相次ぐ負傷など、度重なるアクシデントに見舞われたチームを支えたのは、長友佑都らベテラン勢の存在だった。逆境の中で強固な一体感を生み出した彼らの功績と、激闘の果てに見えた日本代表の確かな進化、そして今後の課題を総括する。(文=元川悦子/全3回の1回目)
【PR】ABEMA de DAZN 学割キャンペーン、最初の3ヶ月・月額980円で国内外の世界最高峰サッカーコンテンツが視聴可能に!
2023年の第2次森保ジャパン発足時から「2026年北中米ワールドカップ(W杯)優勝」を目指し、取り組んできたチームの戦いが終わった。
今回の日本代表はオランダ、チュニジア、スウェーデンという強豪揃いのグループを1勝2分の勝ち点5で2位通過。決勝トーナメント1回戦で王国・ブラジルと激突。佐野海舟の目の覚めるようなゴールで先制したものの、後半にカルロ・アンチェロッティ監督の戦術変更でクロス攻撃を仕掛けられてから苦境に陥り、最終的に2失点。またも決勝トーナメント1回戦の壁を越えられず、ラウンド32敗退となった。
7月2日に帰国し、記者会見を行った森保一監督は「ブラジルに負けてしまった試合を振り返った時、采配でチームを勝利に導くことができたとも考えられるので本当に悔しい」と率直な思いを吐露した。
「W杯で5回優勝しているブラジルと真剣勝負ができたことで、十分渡り合っていけるという手応えも感じたし、この成長をしっかり続けていけば、未来は必ず世界一を取れるということを感じることができました。しかしながら、スコアは僅差だったが、まだまだ個の部分、チームの戦術は上げていかなければいけないということも学ぶことができた」とも言及。選手たちの多くが口を揃えた「個のレベルアップの重要性」を指揮官自身も改めて痛感した様子だ。
そんな日本代表だったが、やはりベテラン勢が果たした役割は非常に大きかった。エースナンバー10を背負い、ブラジル戦ではキャプテンマークを巻いた堂安律(フランクフルト)は「彼が選ばれて、いろいろな賛否があったというのは聞きますけど、彼はこのチームに絶対に必要やったので。彼のいない今のチームは想像もできなかった」とブラジル戦後に語気を強めたが、主力選手たちを鼓舞し、背中を押し、強固な一体感の醸成に大きく貢献した長友らベテラン勢がいなかったら、ここまで結束して戦い抜くことはできなかっただろう。
実際、今回のチームはさまざまなアクシデントが起きた。大会前に南野拓実、三笘薫という攻撃の主軸がケガで大会を棒に振り、オランダ戦で久保建英が負傷。戦力ダウンを余儀なくされた。
サポートプレーヤーとしてチームに帯同した吉田麻也も「自分たちの強みであったシャドーの選手層がどうしても薄かったので、選択肢が限られた。こういう短期決戦は交代選手が差をつけるという意味で、かなりのディスアドバンテージだったと思う」と表情を曇らせたが、本当に厳しい状況下でのギリギリの戦いが続いた。
そこに追い打ちをかけたのが、初戦・オランダ戦3日前の前キャプテン・遠藤航が負傷離脱だ。遠藤は直後に自身のSNS上で代表引退を表明。チームに計り知れない激震が走った。
「特に航の離脱はショックが大きかった。正直、航の存在がこれほど大きかったんだということを、みんなのショックから目の当たりにした。だからこそ1つにならなきゃいけないと(キャプテンを引き継いだ板倉)滉とも話をしました」と長友はしみじみと振り返るが、仮に長友、吉田、南野がチームに帯同していなかったら一体、どうなっていたのか。オランダ戦で黒星発進を強いられ、グループ敗退の憂き目に遭った可能性も否定できないだろう。
森保監督はイザという時に備えて、W杯3大会でキャプテンを務めた長谷部誠コーチを2024年夏にいち早くスタッフ入りさせ、本番直前には中村俊輔コーチも招聘。レジェンドの経験値を伝えられる体制は作っていた。が、やはり選手同士でなければできないこともある。ともにピッチに立ち、全力でプレーし、技術・戦術・メンタル面を共有していたからこそ、全員が同じ方向を見て進んでいける。そう仕向けた年長者3人の存在価値は非常に大きかったと言っていい。
板倉も「今のチームには佑都君、麻也君、タキがいるんで、本当に僕は恵まれている」と何度か語っていた。2010年の長谷部コーチのように、いきなりリーダー役を託された彼も戸惑いは少なくなかったはず。そこで年長者たちが心の拠り所になり、支えてくれたのは紛れもない事実。長友の進言にもあって、板倉は毎試合前に選手ミーティングを実施していたが、それがあったから過去の海外開催W杯で未勝利だった”2戦目の鬼門”を突破することができた。
もちろん”決勝トーナメント1回戦の壁”を越えるには至らず、日本サッカー界としては目標に到達しなかったのも確かだが、劣勢を覚悟してカウンターで勝ち切った2022年カタールW杯の時より前進した。そこも目を向けるべき点ではないか。
大会4試合の総得点8というのは日本代表史上最多。鎌田大地、上田綺世が1大会2ゴールを記録し、前田大然も2大会連続スコアラーとなった。ボール支配率も前回大会のドイツ、スペイン戦に比べて、オランダ、ブラジル戦の方が上回っており、チーム全員が進化を実感していた。
試合内容の部分のみならず、個々のマインドも変化した。象徴的だったのが、以前はどちらかというと自分に矢印を向けがちだった鎌田や堂安、若手の塩貝健人や後藤啓介らに「日本のために」「チームのために」が献身性や犠牲心を前面に押し出したこと。そこは特筆すべき点ではないか。
「彼らのチームへの忠誠心の度合いがどんどん大きくなっているのは、僕自身も感じていました。10番で点を取りたいとギラギラしていた律がDFのような守備をずっと続けていた。大地の心構えや戦いもそうでした。若い啓介と健人の1カ月の変わりようも凄すぎて、鳥肌が立ってるんですけど、本当に嬉しくて。日本代表としての誇りや覚悟が伝わってきて、本当に嬉しかったし、自分が日本サッカーに貢献できたのかなと思います」
長友はこんな話もしていたが、その一体感や団結力は日本が世界に胸を張れる大きな強みに他ならない。堂安は「今の自分たちの中で誰がブラジル代表に入れるのかという話をした時、みんな『うーん』となった。団結力で戦えるのは今の日本の武器だけど、そこに個人の成長を加えて進んでいくのが最適だと思います」とも力を込めた。
長友らが引き上げてくれた日本の大きなストロングを生かしながら、20代の選手たちが日常の場で個人能力に磨きをかけていくこと。それがW杯上位躍進への近道ではないか。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。
















