鹿島でも飲み込まれた“欧州化”「時間がない」 暗黒期を経験も…失わなかったスタイル

鹿島アントラーズ黄金期を率いたオズワルド・オリヴェイラ監督【写真:アフロ】
鹿島アントラーズ黄金期を率いたオズワルド・オリヴェイラ監督【写真:アフロ】

鹿島が重視してきたブラジル人監督の系譜

 30年以上にわたり強化の最前線に立ち、数多くの指揮官を招聘してきた鈴木満氏にとって、監督選びはクラブのアイデンティティを左右する最も重要な仕事であった。一般的に、最新の戦術トレンドや独自のトレーニングメニューを持つ外国人監督が重用される傾向にあるが、鈴木氏の視座はより本質的な部分に向けられている。(取材・文=森雅史/全5回の3回目)

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「これまで何人もの監督と一緒に仕事した経験ありますが、これだけの情報化社会になった今、たとえば特別な練習、日本で見たことのない練習を外国人監督がやるかと言ったら、それはもうありません。今SNSがこれだけ発達した中で、インターネットでいろんな情報も取れて、もう世界の情報もほとんど入ってくる。だから外国人監督が来ても練習方法の差はないと思います」

 現代フットボールにおいて、トレーニングのメソッドそのもので他者と差別化を図ることは極めて困難になった。では、何が監督の価値を分かつのか。

 鈴木氏は、指導者個人の「こだわり」や「人格」、そしてクラブが伝統的に持つ文化との相性を挙げる。鹿島が長年にわたりブラジル人監督の系譜を重視してきた理由も、そこにある。

「鹿島はブラジル人監督が続いたという歴史があります。ブラジル人監督は戦術を『ポゼッション』『プレス』というような分け方で考えてはいませんでした。私が思うに、彼らの戦術は選手が持っている個人戦術の組み合わせなんです。だから時間をかけないと熟成していかない傾向がありましたね」

 かつてのように、主力を固定し、時間をかけて組織のコンビネーションを熟成させることが許された時代は幸福であったと言える。オズワルド・オリヴェイラ監督のもとで達成した3連覇(2007〜2009年)は、まさにその最高峰の結実であった。しかし、現在のフットボール界は、若き才能が瞬く間にヨーロッパへと引き抜かれる「即席」の時代へと突入している。

「昔はやっぱりある程度時間をかけながら、選手のコンビネーションを熟成させてチームにすることができました。ですが、今は主力選手をすぐ海外に引き抜かれるようになったので、そういう時間がないんです」

 ではどのような対応をしなければいけなくなったのか。

「『監督がこういうサッカーをやるからこういう選手が必要だ』という、監督のスタイルに合わせて選手を取ってきて、型にはめてプレーをするほうが、時間をかけずにチームが完成するというチーム作りになりました。これは世界的に同じ傾向だと思います。そこで、監督選びも、自分の型がある人を連れてくるようになりました」

 ブラジル人指導者が世界的な潮流から一歩退き、独自の戦術的な「型」を植え付けるヨーロッパ流の指導者が台頭している背景には、こうした移籍市場の構造変化がある。鹿島もまた、その歴史的な荒波と無縁ではいられなかった。小笠原満男らの黄金世代から次世代へのシフトの過程で、軸となる選手を次々と失う暗黒期を経験したからである。

「小笠原たちの世代から次の世代にシフトして『さあこれから』という時、パッと選手がいなくなって『軸になる選手がいなくなってどうするの』っていうような状況になりました。それでもクラブが持っている部分を継続できたという部分はあります。ずっと鹿島のスタイルを作ってきたので、勝つためにやらなければいけない部分をちゃんと抑えながら歴代監督はやってくれています。そして勝ちながら自分の理想に近づけていってくれているのです」

 クラブが培ってきた伝統的な勝負強さをベースに残しつつ、時代の要求に合わせて新たな戦術の「型」を肉付けしていく。指導体制の変遷とは、単なる人物の交代ではなく、クラブの血統を守りながら時代に適応するための、終わりのないアップデートのプロセスなのである。

(森雅史 / Masafumi Mori)



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森 雅史

もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。

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