カズから長友へ「まだまだ若い」 ”盟友”森保監督へエール…重なった自身の思い「選ばれなかった選手も」

三浦知良が日本代表メンバー発表に言及した
J3福島ユナイテッドの59歳FW三浦知良(カズ)が5月16日、W杯日本代表にエールを送った。J2・J3百年構想リーグのホーム最終戦後に、前日15日に行われたW杯日本代表メンバー発表について言及。「森保監督が選んだ代表が少しでも勝ち上がれるように、僕はサポーターとして応援するだけ。選手には日本代表の歴史というか、未来に向けて、頑張ってほしいなと思います」と話した。
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W杯のピッチは踏んでいない。それでも、カズは日本におけるW杯の代名詞的な存在であり続ける。代表発表のたびに1998年フランス大会直前の「外れるのはカズ、三浦カズ」は繰り返し流されるし、4年に1回、コメントを求めるメディアは今でも少なくない。
誰よりもW杯への思いは強い。Jリーグ開幕前の1990年7月、ブラジルから帰国し、読売クラブ(現東京ヴェルディ)移籍会見に臨んだ。目標を問われた23歳は「日本代表をW杯に連れて行くこと」と答えた。W杯の一般的な認知度も低く、出場など夢のまた夢だった時代。真剣なその表情も、ただの「ビッグマウス」にしか見えなかった。
「試合の時は街から人がいなくなるんだ」「普段サッカーの話などしない女の子が、ブラジルが負けると大泣きするんだよ」…。15歳で単身ブラジルに渡り、86、90年と2度のW杯を本場で体験したカズの話はおもしろかったが、日本に置き換えると現実的ではなかった。
それでも、カズの思いに現実が近づく。Jリーグ開幕直後の94年米国大会で「ドーハの悲劇」を味わい、多くの日本人が「W杯」を知った。98年フランス大会ではついに初出場を決める。もっとも、カズを待っていたのは直前の落選。カズは「魂」だけをフランスに残し、失意の中で帰国した。
出場は諦めなかった。2000年を最後に代表からは遠ざかっていたが、02年日韓大会の時には「何が起こるか分からない」と最後の可能性を信じて代表発表当日もトレーニングを続けた。06年ドイツ大会の時は「サッカーをする日本人すべてが日本代表候補」と言った。しかし、10年南アフリカ大会代表発表の時は、詰めかけたメディアに向けて「J2で試合に出ていない選手が、代表に呼ばれるわけないでしょ」と苦笑い。それ以降は「魂」を後輩に託して「一(いち)サポーター」として応援し続ける。
カズだからこそのコメント。「選ばれた選手も、森保ジャパンに関わって選ばれなかった選手も、誰もが尋常ではない努力をしてきたと思います」。W杯を目指しながら出場がかなわなかった自身の思いにも重なった。さらに、示唆に富む話は続いた。
アジア最多5回目の出場となるDF長友佑都(39)について「僕からしたらまだまだ若い。僕からしたらですけど」と笑いながら「世界の経験、W杯の経験を誰よりも持っているし、日本代表の誇りや魂、誰よりも熱い気持ちを持っている。日本代表を新たな景色に連れて行ってくれるんじゃないかと期待しています」と話した。
横浜FCのキャンプに参加した時に話をしたというNECナイメヘンのFW小川航基についても「早く日本代表になりたいと言っていたことを思い出します」。当時、小川の熱い思いに背中を押したが「ここからが大変。今は参加することでなく、勝つことが目標ですから。活躍してほしいですね」と再び背中を押した。
23歳の「ビッグマウス」は来年、還暦を迎える。「見果てぬ夢」だった日本代表のW杯は「4年に1度の恒例」になった。カズは今回も熱心なサポーターとして「ドーハの悲劇」の盟友である森保一監督率いる日本代表を応援する。
(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)
荻島弘一
おぎしま・ひろかず/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。















