岡崎でも長谷部でもない 無名の日本人が決意した「任せたい」…ドイツ5部の異例抜擢

ドイツ5部のケーニヒスドルフで指揮を執る大野嵩仁氏【写真:中野吉之伴】
ドイツ5部のケーニヒスドルフで指揮を執る大野嵩仁氏【写真:中野吉之伴】

ドイツ5部ケーニヒスドルフを率いる大野嵩仁氏

 海外でプレーする日本人選手は増え続けている。だが、日本人指導者となると、その数はまだ限られているのが現実だ。コーチとしてではなく監督でとなるとその数はさらに減り、ヨーロッパの成人カテゴリーで監督として指揮を執る日本人となると、さらに少なくなる。(取材・文=中野吉之伴/全3回の第1回目)

【PR】ABEMA de DAZN、2/6開幕『明治安田Jリーグ百年構想リーグ』全試合生配信!毎節厳選6試合は無料!

 そんななか、ドイツ男子サッカーで最も高いアマチュアカテゴリーでチームを率いている日本人監督がいる。元日本代表FW岡崎慎司でも、元日本代表キャプテンの長谷部誠でもない。ドイツ5部リーグに所属するケーニヒスドルフを率いる大野嵩仁がその人だ。1-3部がプロリーグ、4部をセミプロと考えると、5部はドイツアマチュアサッカーの最上位に位置する。

 サッカー少年だった大野は柏レイソルジュニアからユースまで所属し、城西国際大学を卒業後に、渡独。ケルン体育大学で学びながら、選手、そして指導者として経験を積み重ねてきた。夢は大きく、希望にあふれていた。

「卒業したらドイツでプロ選手になり、大学で学び、最終的にはプロの監督になる!」

 渡独前にはそう思い描いた。

 ただ、キャリアプラン通りにいくほど、甘い世界ではない。選手として負傷に苦しむ時期があった。年下の学生たちの前でのドイツ語によるプレゼンに思い悩むことも多い大学生活。理想と現実の間で揺れながら、それでもドイツに残り続けた。

 遡ること2年前。当時28歳の大野は、ドイツ4部の下位クラブでプレーしていた。

「シーズン後にプロ契約オファーをもらえなければ、選手としてのキャリアは区切りをつける」

 そう決めて臨んだシーズンだったが、オファーは届かなかった。選手としてのキャリアに、一区切りつける決断をした。ただ最後の最後に「この監督の下でサッカーがしたい」というチームがあった。5部所属だが、戦術的にもプレースタイル的にも、かなりの衝撃を受けるほどのチームだったそうだ。

 実際にその監督の下でプレーした1シーズンは、選手としても指導者としても非常に勉強になることばかり。ただ、シーズン終盤に、大きな問題がクラブを襲う。大きめのスポンサーが撤退し、クラブ総収入のほとんどすべてが消えることに。監督も、主力選手の多くもクラブを去らざるを得ない事態になってしまう。

 そのまま失墜していってもおかしくない中、クラブを離れるその監督から、連絡が届く。

「『何人かの監督からは来シーズン監督やりたいと連絡来てるけど、タカがやってくれるなら任せたい。』と言ってもらったんです。即決はできなかった。正直クラブ事情は相当悪い。若手選手中心のチームにならざるをえないし、僕はまだ成人チームでの監督経験がないですから」

 不安要素は間違いなく多いし、大きい。だが5部チームで監督ができるチャンスは、ドイツ人でもそう簡単に手にすることができないものだ。なぜ、成人チームの監督経験もない30歳の日本人に声がかかったのか。正直やらせる理由より、やらせない理由を見つける方が簡単だったはず。このチャンスを逃すのはあまりにもったいなさすぎる。最大限のことをしようと覚悟を決めた。

 5部の競技レベルは決して低くはない。多くのクラブが選手に一定の報酬を支払う中、このクラブは極めて限られた予算で戦わざるをえない。それでも大野は、この状況を言い訳にはしなかった。

「自分でドイツに来て、自分で監督をやると決めたので」

 他クラブとの実力差は間違いなくある。平均年齢21歳以下の若いチーム。だからこそ、まずは細部から整えることにした。

「ドイツ5部の選手の多くは、仕事や大学とサッカーを両立しています。練習は夜8時から始まることも珍しくない。そこでアップとして20分以上もボールを使わずにランニングを続ければ、選手の集中力はすぐに落ちてしまう。だってみんな『サッカーがやりたい』って思ってグラウンドに来ているわけじゃないですか」

 そこで大野は、ボールを使ったゲーム形式のウォーミングアップを増やした。さらにモチベーションを高めるため、独自のポイント制度も導入する。練習や試合の内容ごとにポイント化し、半シーズンごとに上位選手へちょっとだけど、お小遣い程度の賞金を出す。

「全部ポケットマネーです。本当はもっと出したいんですけどね(苦笑)」

 選手たちは若い大野の情熱に感化され、全力で応えている。隣でサポートしてくれたのは、ドイツA級ライセンスを持ち、ブンデスリーガの下部組織で監督歴も豊富な浜野祐樹(現・ヴィッセル神戸の通訳)。若いチームは走り、戦い、観客から「見ていて楽しいチーム」と言われるようになった。

 試合前のミーティングでは、テーマを設定し、しっかりと準備されたプレゼン資料を見せて、共通認識を作り上げていく。アウェイゲームでは、自分の車にテレビを積んで会場まで運び、映像を見せることもある。準備を徹底した試合では、選手のパフォーマンスが明らかに変わるけど、逆に、準備が足りなかった試合では結果も内容も悪かった。

「ちょっとした緩みが、選手に伝わるんだと学びました。ドイツで監督をする中で、強く感じていることがあります。それは選手とのコミュニケーションとマネジメントです。戦術的な知識や経験が豊富にある事は大前提だと思うのですが、ブンデスリーガを見ていても、戦術的に特別優れているわけではないチームもあると思います。しかし、それでも指揮を執ってチームを勝利に導いているのは、やっぱりそれぞれを1人の人間として選手との関係をうまく作って、コミュニケーションがとれているからだと思います。『何を言うか』よりも、『誰が言うか』が大事だなと日々現場で感じています」

 いま感じている一番の課題は、ゲーム前の選手のモチベーションをあげる最後のスピーチだ。ドイツのサッカー文化では、選手の感情を高める重要な役割を持つ。海外で監督をするということは、戦術だけでは成り立たない。言葉、文化、信頼関係、そして人の心を動かす力。そのすべてが問われる仕事なのだ。

「去年の監督はそれが本当に上手かったんです。イントネーション、間、声の強弱。どの言葉を、どのタイミングで伝えるのか。僕は監督歴がまだ少ないので、そこが足らない。振る舞いと言葉だけで空気を変えられるようにならないといけない。学ぶことばかりの毎日です」

 彼がドイツに来た理由は一つ。

「いつかプロの現場に入りたい」

 ドイツ5部リーグは決して華やかな舞台ではないかもしれない。今いるクラブは資金が乏しく、環境も限られている。それでも、このリーグにも豊かなサッカー文化があり、監督として学ぶべきものがたくさんある。

 冬休み期間を経て2月22日に再開されたリーグ戦は4連敗スタートとなったが、3月22日のホームゲームで歓喜の今年初勝利を祝うことができた。

「今日まで苦しかったですけど、良い勉強になりました。ほんと勝てて良かったです」

 こうした現場での刺激的な挑戦の連続が、大野の未来を輝かせてくれるはずだ。

(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)



page 1/1

中野吉之伴

なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)取得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなクラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国で精力的に取材。著書に『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング