22歳で起業、欧州で美容室「本当に未知数」 破天荒な人生も…元日本代表が広げるビジネス

小林祐希「いろんな国で作った基盤を生かして、ビジネスを広げていきたい」
強烈な個性と左足のキックで浮き沈みの激しいプロサッカー人生を生き抜いてきた元日本代表・小林祐希も2026年4月には34歳。2010年に東京ヴェルディでトップデビューを果たしてから今年で17年目を迎える。(取材・文=元川悦子/全6回の最終回)
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ご存じの通り、小林はここまで海外5か国・6クラブ、国内5クラブを渡り歩いてきたわけだが、「もう少し一定のクラブで腰を据えてプレーしていたら、日本代表に長くとどまり、ワールドカップ(W杯)を狙えたかもしれない」という声も聞こえてくる。
だが、当の本人にそういう考えは全くないという。
「僕が日本代表に初めて呼んでもらったのは、(ヴァイッド・)ハリルホジッチ監督時代の2016年。ジュビロ(磐田)でプレーしていたときでした。でも、あのままジュビロにいたとしても代表定着はムリ。次のヘーレンフェーンから上のクラブにステップアップできればよかったけど、うまくいかなかったのも大きかったと思います。
やっぱり代表に定着したいと思うなら、欧州5大リーグでスタメンで出続けないと難しい。今の時代は本当にそうなってきていますよね。自分があと5年遅く生まれていたら、もっと海外に行きやすかっただろうし、5大リーグにも手が届いたかもしれないけど、それも巡り合わせだから仕方ない。それでも俺は運がいい方だと思ってますよ。
実際、自分は宇佐美(貴史=G大阪)とか大島僚太(川崎)みたいにメチャメチャうまいわけじゃないし、スピードがあるわけでもない。そんなに実力がある選手じゃない。そんな自分がデカい夢を持って、次のステップに飛び込んで一生懸命やっていたら、俺くらいの実力でも代表に手が届くんだなと感じました。自分よりうまい選手で代表に呼ばれてない選手はたくさんいる。そう考えたら、悪くないキャリアですよ」
日本最高レベルまで到達できたことを前向きに捉えている小林。日の丸をつけた期間は短かったが、2016年6月のボスニア・ヘルツェゴビナ戦(吹田)で初キャップを飾り、11月のオマーン戦(鹿島)で初ゴールを決めた頃は「本田圭佑の後継者」とも評された。同じ左利きで強烈なキックを持ち、歯に衣着せぬ物言いをするところが共通するため、そう見られただろう。
「『ポスト本田』みたいな言われ方は特に気にしていなかった。むしろ成功している人と比較されることを前向きに捉えていました。でも僕から見ると、圭佑くんと自分は全然違う。ボールの持ち方とか立ち姿は似てるのかもしれないけど、見えている世界は違うし、技術はたぶん僕の方が高いですよね(笑)。
ただ、結果を見たら、彼はどこへ行っても点を取ってるし、W杯でもすさまじい結果を残している。実力以上のものを大舞台で出せるという能力を持っている選手なので、そこは俺には足りなかったかなと。
自分はチームのバランスを見てプレーしちゃうタイプだから、どっちかというと“気が利く選手”。そういうイメージがない人もたくさんいるかもしれないけど、ポジショニングを見れば分かってもらえるはず。俺はチームメイトが逃げられるところに必ずポジションを取るんです。
だけど、圭佑くんは『自分が欲しいところに出せ』と主張するタイプ。そういうチームメイトに恵まれてきたのも大きいと思いますけど、考え方やプレーの仕方は全く違います」
本田圭佑とはビジネスでも明確な違いがある
小林は明確に両者の違いを分析する。本田は「引退してない」とは言うものの、現在は無所属。ビジネスに重きを置いている。現役時代からビジネスを手掛けているという点では小林も一緒だが、そのアプローチ方法も異なる部分があるという。
「圭佑くんのビジネスは会社のビジョンとか将来性を踏まえながらベンチャーに投資するケースが多いと思いますけど、僕はあくまで人。『その人の可能性に賭けたい』と思えたら投資します。いったんお金を出したらその人に任せる。その結果、失敗も数多くありましたけど、僕はやっぱり人なんですよね。
最初に会社を作ったのは22歳のとき。僕の専属シェフとして長年ついてくれていた仲間と一緒に食関係の仕事を手掛け、営業拡大もしていますけど、サッカーをやりながらビジネスを手掛けるというのはやりがいがあります。
1つ、成功した例を挙げると、オランダの美容室ですね。僕は今、アムステルダムの中心部に2店舗持っていて、経営も順調なんですけど、きっかけは自分がヘーレンフェーン時代に知り合ったある日系美容企業の雇われ店長との出会いなんです。
彼が厳しい条件を突きつけられて困っているのを見て、『独立して一緒にやろう』と声をかけました。美容室経営なんて考えたこともなかったですし、本当に未知数でしたけど、6~7年がたった今は自分もそれなりの収入を得られるようになった。3店舗目の出店も考えています。
『美容院なんて絶対に儲からないからやめろ』といった意見もありましたけど、僕はチャレンジしてよかったと思う。フリーランスで現地にいる日本人スタッフが喜んでいる様子を見ると本当に嬉しくなりますね」
義理人情に厚い小林らしい話だが、そうやってさまざまな場所でいろんな人と深い絆を築いてきた。人懐こい人柄で厳しいサッカー界を生き抜いてきた部分もあるだろう。自己主張が強い分、誤解されることも少なくないが、一度、懐に入り込んだら、とことんまで本音をぶつけていく。そんな生きざまが魅力に違いない。
「僕もそろそろサッカーをやめた後のことを考えなければいけない時期に来ていますけど、他の人たちみたいに指導者やサッカースクール事業をやるつもりはないですね。これまでいろんな国で作った基盤を生かして、ビジネスを広げていきたいです。
もちろんその前にサッカーの結果。今はシンガポールに来たばかりですし、タンピネスを勝たせる仕事をしないといけない。『小林祐希はまだ終わっていない』というところを示したいと思います」
20代の頃の輝きを知る人々は、もう一度、強烈なインパクトを残す小林の一挙手一投足を待ちわびているはず。シンガポールで見る者を驚かせるような活躍を示して、もう一花咲かせてほしいものである。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。












