技巧派輩出の特殊環境「冬場に室内でしか」 名伯楽が生かした長所…引き継がれるDNA

四方田修平氏「テクニックに秀でた彼らにもハードワークは求めていました」
2026年から大分トリニータで指揮を執る四方田修平監督は、筑波大学大学院時代に日本代表の1998年フランスワールドカップ(W杯)初出場に関わった。
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そこで出会った岡田武史監督(現FC今治代表取締役会長)からの誘いで翌1999年に北海道コンサドーレ札幌へ赴き、2021年までの23年間、この地で働くことになる。関東出身の男は予想しなかった人生を歩むことになったのだ。(取材・文=元川悦子/全7回の4回目)
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「札幌での最初の仕事はトップチームコーチ。岡田さんが指揮を執った99~2001年までの3年間、下で働かせていただきました。当時は駆け出し指導者で、自分自身、足りないことが多かった。
申し訳なさが強かったですけど、『しっかり支えたい』という情熱だけは人一倍強かった。それで何とかやってこられたのかなと思います。
日本代表のスカウティングに携わっていた頃、加茂周監督から『キミは選手としての実績がないから、他の人の2倍3倍頑張らなきゃいけないね』と言われたことも、大きな励みになりました」
岡田監督は2001年末で退任。札幌を離れたが、四方田監督は2002年以降もクラブに残ってU-18コーチに就任する。2004~15年7月までU-18監督を務め、長く育成指導に当たり、その後はトップチーム監督やコーチを務めることになった。
足掛け14年間関わったユースからは、西大伍(2025年限りで引退)、奈良竜樹(福岡)、荒野拓馬(札幌)、前貴之(千葉)、深井一希(2025年限りで引退)、前寛之(町田)、高嶺朋樹(名古屋)、菅大輝(広島)ら数多くの選手を輩出。多彩なプレーヤーを育てたことは特筆すべき点である。
「札幌ユースが伝統的に中盤のうまい選手が多いのは、冬場に室内でしかサッカーできないという北海道の環境によるところが大なんです。狭いところで常にプレーして、局面を打開していくことで、ボール扱いに長けた選手が生まれる。そういう北国の土壌のなかで、コンサドーレに良い選手が集まってくれたので、僕はその長所は大事に生かそうと考えました。
自分はまた『こういうタイプじゃないとダメ』という固定概念では指導しなかったかな。サイドであれば、ビックリするくらい上下動できて、クロスにつなげられればそれでいいと思ったし、センターバック(CB)なら相手を抑えることに特化してもいいし、センターFWなら点を取れればいい。各ポジションのスペシャリストを求めていたところはありました」
スペシャルな武器を求める一方で、将来どの監督のもとでも必要とされる力を身につけさせたいと考えていたのも事実。まず、ベースとなる人間性の部分は厳しく指導しました。その上で、西であれば、サイドバック(SB)にサイドハーフ、ボランチもこなせる人材になったし、奈良はタフなバトルを得意としながらも、最終ラインからのビルドアップやゲームコントロールもできるようになって今があるのだ。
「西はU-15、深井はU-12から上がってきた選手ですけど、もちろんテクニックに秀でた彼らにもハードワークは求めていました。逆にU-18からの加入組である奈良なんかはもともとハードマーカーとして入ってきた人材。その彼にも技術や攻撃力を求める環境作りはしていました。やはり現代サッカーは攻撃も守備もできないといけない。キャプテンシーや統率力も養ってもらいたいと思って、いろんな声かけはしていましたね」
課した四方田流の厳しい基準。そういった面々がトップに上がり、プロとして活躍。四方田監督も札幌の指揮官として対峙する機会に恵まれ、それを非常に楽しみにしていたという。ただ、その筆頭である西と深井が2025年限りで現役を退く決断を下したことには、一抹の寂しさを覚えたはずだ。
「大伍とは天皇杯(6月18日の2回戦・横浜FC対いわてグルージャ盛岡戦)で会ったときに『今年でやめます』と言われたので、直接連絡はなかったですけど、覚悟はしていました。日本代表や鹿島(アントラーズ)で高いレベルの経験をしましたし、いろんな才能のある人材なので、それを生かしてセカンドキャリアを踏み出してほしいなと思いますね。
深井のほうは度重なる怪我もあって、この数年は『どこまで続けられるのかな』という状態ではあったので、本人の気持ち次第だろうとは感じていました。
そして実際に今年、電話をもらった瞬間に『ああ、引退するんだな』とすぐ分かりました。『自分がやり切ったんだったら、後悔がないんだったら、俺からは何も言うことはないし、本当にお疲れ様』という言葉をかけましたね。ラストマッチとなった11月29日の愛媛FC戦にも行きたかったんですけど、残念ながら足を運ぶことはできませんでした。
本人が指導者としてやっていきたいと公言していて、2026年からは下部組織のコーチ(札幌U-18コーチ)になるということなので、彼にしかないものを生かして若い世代を育ててほしいなと思います」
西や深井を筆頭に、四方田監督のDNAを引き継いでいく人材は数多くいる。彼らが次世代の有望なタレントを育てたり、サッカー界を支える役割に回ってくれることを彼自身も切望している。そういった教え子たちの活躍を刺激にして、四方田監督は未知なる九州の地で新たな足跡を残す構えだ。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。





















