日本代表、偵察部隊の実態とは? 再生→停止→録画…撹乱作戦の裏に「弱点があった」

大分新監督の四方田修平氏「今のようにパソコンで多くの編集ができなかった」
2026年から大分トリニータの新指揮官に就任する四方田修平監督が筑波大学大学院出身というのは、サッカー界ではよく知られた話だ。
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田嶋幸三氏(前日本サッカー協会会長)の研究室には、1998年フランスワールドカップ(W杯)日本代表コーチを務めた小野剛・JFA技術委員、今井純子・JFA前女子委員長ら精鋭が集結。四方田監督が在籍した1996~98年にかけては指導者ライセンスやトレセン改革が行われた時代で、彼らがそういった活動に携わる機会が非常に多かったのだ。(取材・文=元川悦子/全7回の3回目)
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四方田監督自身も1997年フランスW杯アジア予選から本大会にかけて、スカウティングスタッフの一員として重要なタスクを担ったのである。
「今の時代は技術が進んでいるので、動画編集もスムーズにできたりしますけど、当時はビデオデッキ2台をつなげて、再生・一時停止・録画を繰り返して分析映像を編集していましたね(苦笑)。今のようにパソコンで多くの編集ができなかったし、もととなる映像ソースの収集にも時間がかかったりと、いろんな努力が必要でした」
アナログ機器を使いながら、日本代表選手に対戦相手のポイントを伝える作業は、想像以上に難しかったという。
「監督が選手に何をどのくらいの時間で落とし込むべきかを判断してから、その映像や資料を作成するのが僕ら分析スタッフの仕事でした。これを基に、そこから加茂周監督、後を引き継いだ岡田武史監督(FC今治代表取締役会長)といった指導スタッフがどうトレーニングや試合につなげていくかが一番大変なところ。少しでも彼らの助けになれるように自分なりに努力したつもりです」
20代半ばのガムシャラだった日々を述懐する四方田監督。とりわけ印象深いのが、同最終予選・第3代表決定戦のイラン戦だろう。対戦相手のイランは前日、2トップの一角を占めていたFWコダダド・アジジが宿泊先のホテルで車イスに乗って現れるという撹乱作戦を展開。日本としては、彼がいるかいないかによって対応策が変わってくるため、その準備に追われることになった。
「最終予選はそこまでで8試合あったので、そのデータを基に、アジジが出るパターンと出ないパターンを想定しました。もう1人のアリ・ダエイは打点の高いヘディングを武器にしていて、右サイドバックの(メフディ・)マハダビキアとのホットラインから数多くのゴールを奪っていたので、そこを警戒ポイントに挙げました。
一方で、イランの守備陣はボールウォッチャーになりやすいという弱点があったので、日本としては相手の視野から消える動きが有効という情報も提示していました」
四方田監督ら3~4人の分析チームが導き出したポイントを抑えながら、大一番に挑んだ日本代表。FW中山雅史(現沼津CRO)の先制ゴールの後、アジジとダエイに被弾。1-2の劣勢に陥ったなか、後半からピッチに立ったFW城彰二(現解説者)が同点弾を叩き出し、最終的にFW岡野雅行(現浦和ブランドアンバサダー兼南葛SC事業本部長)がゴールデンゴール。日本は長年、閉ざされ続けたアジアの扉をついにこじ開けたのだ。
「当時はただただ一生懸命やることだけを考えていて、チームの勝利に対する責任とかプレッシャーは感じていませんでした。学生の自分がそういう経験をさせてもらっただけでも光栄ですし、ものすごく大きな財産になったなという気持ちでしたね。
1998年フランスW杯本番でも、同組のアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカの分析に携わらせてもらいましたが、残念ながら僕らの仕事が日本の勝利にはつながらなかった。それでも、世界最高峰の技術・戦術的な部分を間近で見ることができましたし、ゲームにのぞむための準備や姿勢、監督のアプローチなども学ばせていただいた。国際試合の怖さやサッカー文化や歴史の違いなども体感できて、その後の指導者人生のベースになったのは間違いないと思います」
四方田監督はしみじみとこう語る。学生のうちに日本のW杯初出場のディテールに関われたのは、本当に幸運なこと。そこで深い絆が生まれた岡田監督から北海道コンサドーレ札幌に呼んでもらったことを含め、筑波大学大学院時代というのは、人生の節目になったと言っていいだろう。
「98年フランスW杯も貴重な経験でしたけど、S級指導者ライセンス講習会を手伝うなかでいろんな関係者と出会えたことも大きかった。96年アトランタ五輪で西野朗監督の下、分析スタッフを務めた小野剛さんとの出会いも、僕がスカウティングの仕事に入り込んでいく1つのきっかけになりました。
あれから30年近い時間が経過し、2026年北中米W杯に挑む日本代表には、寺門(大輔)さんを筆頭に専門スタッフが複数いて、さらに東大・筑波大の大学院生が30~40人程度加わると聞いています。出場国が48に拡大し、試合会場もアメリカ・カナダ・メキシコの広大な3か国。それだけのマンパワーがないと回らないんだと思いますが、分析体制が充実していくのはすごくいいことですね」
四方田監督らが先鞭をつけたスカウティングという重要な役割を担う若者たちが、次のW杯で大活躍し、日本の史上初のベスト8入りの原動力になってくれれば、理想的である。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。





















