一時は首位浮上も12位フィニッシュ 福岡で再出発も不完全燃焼「チームに負担をかけた」

福岡の金明輝監督【写真提供:アビスパ福岡】
福岡の金明輝監督【写真提供:アビスパ福岡】

金明輝監督が振り返る福岡1年目

 2025年から金明輝監督率いる新体制に移行したアビスパ福岡。彼らは「6位以上」という目標を掲げたが、結果的には12位。4月12日の横浜F・マリノス戦後には首位に浮上し、3節その地位をキープしたものの、シーズン通して上位争いに食い込むことはできなかった。

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 それでも最低ノルマのJ1残留を果たし、クラブは金明輝監督の続投を決断した。指揮官は今季をどう総括し、2026年前半の百年構想リーグ、そして夏開幕となる26-27シーズンに挑むのか。指揮官への単独インタビューを試みた。(取材・文=元川悦子/全7回の第1回目)

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「今季は僕自身の就任についてチームに負担をかけた状態でのスタートになりました。選手たちにストレスがかかったのは事実ですし、その状態で開幕を迎えることになった。序盤3連敗の時には、さらに選手たちに余計な負担を背負わせてしまったし、僕自身ももう少しうまくマネジメントできたところがあった。そこは悔いが残るところではあります」

 指揮官は冒頭でこう話を切り出した。さらに、選手たちへの偽らざる思いを口にした。

「どんな状況であっても不満を表に出さず、日々のトレーニングで全力を注いでくれる選手たちには、本当に頭が下がる思いです。自分の役割を理解し、チームのために力を貸してくれる。その姿勢には何度も救われました。

 僕自身のマネジメントが完璧ではなかった部分もあると思いますが、それでも前を向き、最後まで必死に戦ってくれた選手たちには、感謝しかありません。彼ら一人ひとりの姿勢があったからこそ、今季を戦い抜くことができた。シーズンを通して、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」

 ご存知の通り、金監督は2022年3月にJFA公認S級ライセンス(現Proライセンス)からA級ジェネラルライセンスへの降級処分を受けた。翌2023年には当時J2だった町田ゼルビアのコーチとなり、並行してS級講習会を再受講。2024年2月にS級を再取得して、福岡へ赴くことになった。こうした背景を持つ今シーズン、新指揮官の就任に対し、福岡の一部サポーターから拒絶反応が起こり、賛否両論が巻き起こった。もちろん金監督自身もそのことを気にしており、クラブや関係者、選手たちに申し訳ないという思いを強く抱えていたという。

 それに加えて、前任の長谷部監督が積み上げてきたサッカースタイルをモデルチェンジする作業と向き合わなければならなかった。それは想像以上にハードルが高かったはずだ。

「長谷部監督が培ってきたサッカーにプラスアルファしたいと思ったのは、特に攻撃面ですね。ボールを保持する、前進するという部分に色を付けていくというところからスタートし、開幕を迎えましたが、思うように結果が出なかった。そこで4節目だった3月1日のヴィッセル神戸戦で少し内容を微調整しました。リスクを分散させながら、まず勝って自信を持つことが重要だと考え、そこにフォーカス。1-0で勝ったことで、ようやくチームがポジティブな方向に進み始めました」

 金監督が神妙な面持ちで振り返った通り、ここから福岡は横浜戦まで7戦無敗という快進撃を見せる。首位浮上はクラブ史上初で、このまま優勝争いに突入するのではないかという見方もあったほどだ。

 しかしながら、5月に3連敗、8~9月にかけて7戦未勝利と、安定感ある試合運びを見せられない時期が続いた。結局、浮き沈みの激しいシーズンとなり、目標の6位には手が届かなかった。

「『チームは生き物だな』と痛感しましたね。勝っている時は全てがいい方向に転がっていくのに、相手の警戒に対して尻込みするような入りになってしまう時期もあった。勝っていても、僕自身が目指していたスタイルで勝てたというより、勝ち点を拾えたり、ギリギリで何とか乗り切れたことも多かったですね。逆に負けた時も内容的には上回っていたのにあと一歩で及ばなかったような試合もかなりありました。

 今季は13敗しましたが、複数失点差で負けたゲームは4つだけ。攻撃の構築回数とかチャンスの数はリーグ上位だったんですけど、なかなか点が取れなかった。そこはFW陣の怪我も影響しましたけど、前線の組み合わせを安定させられず、攻撃の形を積み上げきれなかったことが、年間通しての課題だったと強く感じています」と金監督は苦渋の表情を浮かべる。

 指揮官が言うように、ジャハブ・ザヘディ、ウェリントン、ナッシム・ベンカリファら外国人選手が最前線を担ったが、それぞれのゴール数は0点、2点、1点。6月にはカターレ富山から碓井聖生を補強したが、その碓井も試合に出られない時期があり、3ゴールにとどまった。

 福岡のチーム通算得点の「34」というのは、今季J1の下から3番目で、チーム最多得点者がボランチを主戦場としていた見木友哉の6点というのは、あまりに寂しすぎる数字だ。

「点を取る場面というのはどのチームも課題なんでしょうが、先ほども触れた通り、アビスパは攻撃構築回数やチャンスの数、シュート数は上の方で推移していたんです。そういう中、得点を取らせてあげられなかったのは、まさに自分の手腕の部分でもっといいアプローチ方法があったと痛感しています」と指揮官自身も反省の弁を口にする。

 とはいえ、金監督が優れたFWを育てた経験がないわけではない。鳥栖時代は酒井宣福、林大地(G大阪)をブレイクさせているし、町田でコーチをしていた時も他クラブでそこまで活躍していなかったオ・セフン、藤尾翔太らを大きく飛躍させているのだ。

「僕が過去に指揮を執ったチームを振り返ると、絶対的なストライカーが最初からいたということはありませんでした。可能性のある選手を成長させながらやってきたので、今季も自分の感覚でが『どこかでハマるだろう』とは考えていたんです。ただ、想像以上に怪我人が出て、その都度状況に合わせて最善の組み合わせを探す形になり、継続して積み上げていくことが難しかったのは事実ですね。一番勝てなかった8~9月は試合前日にスタメン予定の選手が負傷というのは4回連続くらい続いて、本当に厳しかった。ただ、それも含めて僕の実力。いかにして得点力の部分を改善していくかが、来季の大きなテーマになると強く意識しています」と金監督は不完全燃焼感を吐露する。

 今後の彼はその打開策を真剣に模索していくことになる。1年目は目覚ましい結果を残せなかったが、本当の勝負は2026年以降ということになりそうだ。(第2回に続く)

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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