ゲームメーカー→いぶし銀に変貌 プロ9年目で悲願目前…「もうダメだ」で訪れた2つの転機

千葉を支える縁の下の力持ち・高橋壱晟
「今日は僕じゃないですよ、(姫野)誠に行ってくださいよ」
【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!
ミックスゾーンでヒーローのMF姫野誠とともに姿を現したプロ9年目、27歳のDF高橋壱晟は、瞬く間に多くのメディアに囲まれた17歳を指差してそう口にした。
もちろん姫野の話も聞きたかったが、それ以上に高橋の話を聞きたかった。理由は高校時代まではあれほど華やかなゲームメーカーだった高橋が、今や右サイドバックとしていぶし銀の活躍を見せている。この変貌と右サイドバックとして不動の存在になったことについて、改めて話を聞きたいと思ったのと、青森山田高校から高卒で加入したジェフユナイテッド千葉への思いを激戦の後にこそ聞きたかったからだった。
「プレーオフ特有の怖さも味わったし、いい緊張感を持って決勝に臨めると思っています」
0-3から4-3という大逆転劇のピッチに最後まで立ち続けた。DFとして3失点は悔いが残る結果だが、そこで集中力を切らさずに、チームを声で鼓舞しながら右サイドで激しいアップダウンと球際の強さ、キックセンスを駆使して流れを引き寄せた。
「今日の勝利はもうサポーターのおかげです。あの応援のおかげで逆転があったと言っても過言ではないですし、絶対に僕らだけの力では成しえないことだと思います」
千葉というクラブには強い愛情と感謝の気持ちを持っている。それは長くいるだけではなく、「もうこのクラブにはいられない」と思ったことが1度や2度ではなかったからであった。
「正直、ここまで長くジェフでプレーできるとは思っていませんでした。何ならもうジェフに戻れるか、プロサッカー選手としてのキャリアを継続することができるのかすら分からなかった時期もありましたし、ここまで信頼をしてくれるクラブには心から感謝しかないです」
青森山田を初の選手権制覇に導いた10番として、2017年に華々しく千葉に加入をし、J2開幕戦では高卒ルーキーとしては阿部勇樹以来、17年ぶりとなるスタメンデビューを飾った。そこからボランチ、トップ下としてJ2リーグ23試合に出場して2ゴールをマークした。
しかし、順風満帆だったサッカー人生は7月のJ2第23節のロアッソ熊本戦でスタメン出場をしたのを境に一変をした。熊本戦以降はスタメンゼロ、出場もわずか2試合の30分弱に留まった。
これを受けてプロ2年目にJ2のレノファ山口FCに期限付き移籍をするも、リーグ10試合出場に留まり、翌2019年はJ2のモンテディオ山形に期限付き移籍をし、そこでは1年を通してリーグ戦のベンチ入りすら出来なかった。
「1年目の前半の活躍は自分でも何だったんだろうと……。勘違いしたつもりはないですけど、ここまでダメになるとは思わないくらい、本当に一気に何もかもが上手くいかなくなったんです。どんどん落ちていくというか、自分が自分に期待出来なくなっています」
山口時代にこう口にしながら苦しむ姿を見た。そこからさらに苦しい山形時代を過ごしたが、高橋は一切折れなかった。
「もうダメだと思うこともあったけど、やり続けるしかないと思った」
2020年に千葉に復帰すると、「まだ契約を続けてもらえると思っていなかったので、ここですべてを尽くしたいと思えた」と、どん底から這い上がるべく必死で練習から食らいついた。
ボランチとして徐々に出番を掴み始め、2021年にはキャリアハイのリーグ34試合に出場してトップ下、ボランチ、CBとセンターラインのポジションをこなした。2022年は再び不遇の時代を過ごしたが、2023年のシーズンに大きな転機が2つ訪れた。
1つは背番号が32番から2番に変更されたこと。これはクラブレジェンドである中西永輔、坂本將貴、阿部勇樹、大岩一貴(湘南ベルマーレ)から引き継いだクラブを象徴する背番号だ。
偉大な人たちが背負った番号を託されたことでより責任感が増した高橋に、もう1つの転機がやって来る。この年に就任した小林慶行監督によってシーズン前半に右サイドバック(SB)にコンバートをされたことだった。
「正直、ポジションはどこでも良かったんです。期待に応えたい、試合に出たい。その一心だったので、サイドバックになってからもがむしゃらさは変わりませんでした」
直向きに取り組む姿勢と持ち前の攻撃センスがサイドで発揮されることで、徐々にチームの攻撃のアクセントとして機能していった。J2第21節のいわきFC戦で右SBとしてスタメン起用されたことを皮切りに、不動の存在として一気にレギュラーの座を掴み取った。
「サイドに相手を追い込んで僕が前に出て奪ってから、一気に攻撃の起点になるプレーが自分の中でフィットした。守備など甘さがあっても多少目を瞑って起用してくれたからこそ、僕はトライ&エラーを試合を重ねる中で繰り返すことができて、守備を改善しながら元々の武器であるゲームを作る力をSBとして発揮するというプレーの質を上げることができたと思っています」
気がつけばチームに欠かせない右SBとしてプロ9年目を迎え、J1昇格まであと1つのところまで迫った。
「正直、今もチームに貢献できるならどこでもやるつもりでいます。小林監督と坂本さんがいたからこそ今の僕があると思っているし、坂本さんは今も試合後にすぐに試合の振り返りと次へのアドバイスをしてくれるなど、僕にSBのいろはをたたき込んでくれた存在。2人への恩返しはもちろん、個人としてもチームとしても結果を出せない時期もずっと応援をしてくださっているサポーターの皆さんへの恩返しも含めて、この2番に恥じないプレーをして結果を掴まないといけないと思っています」
J1昇格をかけ、いざ徳島ヴォルティスとの決戦へ。再びホーム・フクアリを歓喜の空間にするべく、右サイドのいぶし銀がいつも通りのメンタルとプレーでチームの縁の下を支える。
(安藤隆人 / Takahito Ando)
安藤隆人
あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』(共に徳間書店)、など15作を数える。名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクターも兼任。




















