介護の仕事と両立の日々「絶対に逃げちゃいけない」 わずか1年…J1昇格を掴んだ24歳の「夢のような話」

水戸DF鷹啄トラビスはシーズン中盤からレギュラーとしてプレーした
「去年、本当に苦しい思いを味わってきた中で、諦めなかったからこそ、サッカーの神様が自分にチャンスじゃないですけど、力を与えてくれたのかなと思っています」
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J2在籍26年目にして悲願のJ1初昇格とJ2優勝を手にした水戸ホーリーホック。快進撃を最終ラインで支えた24歳のセンターバック、鷹啄トラビスは、ミックスゾーンでこう笑顔を浮かべて口にした。
鷹啄は昨年までJFLのFC TIAMO枚方(大阪府)でプレーをしていた。その彼がなぜ水戸に引き抜かれ、開幕戦はベンチスタートだった中、J2第9節の北海道コンサドーレ札幌戦でリーグ初スタメンを果たして以降、不動のCBとしてレギュラーを掴むことができたのか。
それは諦めない心があったから。答えとしては定番中の定番の表現かもしれない。だが、それを実際に心に秘めて、信じて、やり続ける人間は決して多くはない。言葉としては綺麗だが、実践することの難易度が高いことを、鷹啄は本気で信じてやり続けた。
鷹啄を最初に見たのは市立船橋高時代。187cmのサイズとパワーを駆使して堅守・市船の最終ラインを支えていた。空中戦と対人能力、強烈なフィードで相手を圧倒するプレースタイルとは裏腹に、話をすると非常に実直で自分の思いを素直に伝えてくれる選手だった。
「僕が先頭を切って守ることで攻撃陣は必ず点を取ってくれる。目立たなくてもチームのために戦うことを大事にしています」
当時、チームメイトにはMF鈴木唯人、DF畑大雅がいて、注目はこの2人に集まっていた。それに対しても、「大雅のスピードとキックの質、唯人のボールタッチや見えている場所は凄いので、僕も学んでいかないといけないと思います」と素直に言える選手だった。
駒澤大学に進学してからも、さらに対人とロングフィードのパワーと精度を磨き上げ、着実に成長をして行った。しかし、大学4年生でJ2、J3の5クラブの練習参加をしたが、オファーは届かなかった。
「正直、自分のプレーに自信があったので、Jクラブのどこからもオファーをもらえない現実を突きつけられた時は本当にショックで、『自分はこれから先どうなっちゃうのだろう』と本当に落ち込みました」
市船、駒大と順風満帆なサッカー人生を送ってきていただけに、受け入れ難い現実だった。プライドを傷つけられて、別の道を選ぶ人間もいる中で、鷹啄の考え方は違った。
「サッカーさえ続けていれば、いつか必ず見てくれる人がいる。どんな環境でも本気で取り組んで成長すれば、必ずチャンスが来る」
ティアモ枚方では介護の仕事もこなしながらプレーした
その中でJFLのティアモ枚方からオファーが届き、J3の下に位置するこのリーグで結果を出すことに全てを懸ける覚悟を決めた。
「駒澤大の秋田浩一監督から『諦めないでサッカーを続けていれば、誰が見ているかわかんないし、頑張るんだ』という言葉をもらったことも、『自分の考えは間違っていない』と思えた要因でした」
迎えた昨年のJFLのシーズン。サッカーだけではなく、病院の介護の仕事もこなしながらプレーする日々は想像以上に大変で苦しかった。だが、最初に意志を固めていたからこそ、一切揺るがなかった。
「仕事とサッカーの両立をする日常から絶対に逃げちゃいけないし、他責にしちゃいけない。常に自分にベクトルを向けるんだと思って取り組んでいました」
サッカーに対する熱い思いはもちろん、仕事に対してもここでサッカーを理由に手を抜いたり、サボったりしてしまったら、ピッチでいいプレーができるはずもないし、サッカーの神様は微笑んでくれないことを理解していた。
「どれも神様が僕に与えてくれた試練と捉えて、どれも真摯に取り組まないと、誰が見ているか分からない。誰かが見てくれている。それを本気で信じてやり続ければ、必ず報われる時が来ると思っていました」
その信じる力が大きな結果に繋がった。ティアモでCBとして長所だけではなく、ビルドアップの部分でも磨きをかけていた鷹啄を、水戸の西村卓朗GMが見ていた。
「大学時代に水戸の練習にも参加をして、結果はダメだったのですが、昨年、西村GMから『JFLの活躍を常に見ていたよ』と言われ、オファーをもらった時は本当に『信じて良かった』と思いました」
JFLで1年シーズンを過ごしてのJ入りだったが、それは結果論で、いくら頑張っても報われない可能性もある中で、強く信じて努力を重ねたことで引き寄せたものだった。
念願のJリーガーとしての一歩を踏み出した今シーズン。JFLで積み重ねてきた実戦経験と、サッカースタイルが変わっても自分の長所を生かせた経験が、強固なベースになっていたからこそ、J2で才能を一気に開花させることができた。
全ての努力に意味がある。この1年間でそれをプレーで証明し、J1昇格とJ2優勝という大輪を咲かせた。
「JFLからこの一年間でJ1リーガーになるという夢のような話が起こった。まだ実感はないですけど、本当に嬉しいですし、ここからが勝負だと思います」
もちろんこれで終わりではない。より上に行く序章だからこそ、彼はこれまでと変わらず『誰かが見ている』ことを信じて、真摯にかつ貪欲に前進をしていく。
安藤隆人
あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』(共に徳間書店)、など15作を数える。名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクターも兼任。












