川崎を支えた2人の“生え抜き”「このチームで引退したい」 重なった思い…後輩に託す哲学

車屋紳太郎と安藤駿介の現役引退が発表された
別れの時期である。
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11月30日に迎えるホーム最終戦前に、長きにわたって川崎フロンターレを支えたチョン・ソンリョンとジェジエウの退団、車屋紳太郎と安藤駿介の現役引退が発表された。
車屋と安藤に関しては、この中断期間中にクラブハウスでの引退会見も実施されている。
「チームの力になれないなら、どこかで線を引くべきだと思っていました。それが引退の決め手だったかなと思います」
会見の場で車屋が口にした言葉だ。現在33歳。まだまだプレーのできる年齢に思えるが、他クラブのユニフォームを着る選択をせず、スパイクを脱ぐ決断を下した。
そのキャリアを振り返ると、ルーキーイヤーとなる2015年開幕戦から先発。筑波大学時代に特別指定選手として出場経験があったが、開幕戦でスタメンを飾る新人は、クラブの歴史で 01年の伊藤宏樹以来だった。緩急をつけた鋭い突破を武器にJリーグ屈指の左SBとして君臨し、17年には日本代表デビュー。18年には森保ジャパン発足メンバーの一員としても選出されている。
リーグ連覇の主力だったが、19年以降はチーム競争により出場機会が徐々に減少。20年には退団の選択肢も視野に入れていたという。ただ当時のGMである庄子春男・取締役強化本部長から提示されたのは複数年契約だった。この時、残りのサッカー人生を川崎に捧げようと決断したのだという。
「たまたま契約が切れるタイミングで、自分自身ももう厳しいかなと。正直、チームを出ていかなきゃいけないなと思ってたんですけど、庄子さんから複数年契約を提示されてビックリして。自分は愛されてるんだなっていう風に思ったし、このチームでお世話になって来た分、残りのサッカー人生で返さなきゃいけないなって思いました。それがこのチームで引退したいと考える1つの要因だったと思います」
加入前は無冠だったクラブは、2度のリーグ連覇を達成するなど時代を築いた。クラブハウスも新築されるなど環境面も大きく変わった。その変化を尋ねると、懐かしそうに振り返る。
「(クラブハウスが)プレハブの時は、座るところもないぐらいロッカールームが狭くて、すごい環境だなと思ってやってましたけど(笑)、だんだん時間が経つにつれて施設も良くなった。それは会社の方々の環境を良くしたい気持ち、チームを強くしたいという気持ちが1つになってる感じは、自分の中で受けてましたね」
そして再びタイトルを獲得するためには、長くいる選手にクラブのアイデンティティを受け継いで欲しいと後輩たちにエールを送った。
「長くフロンターレでプレーした選手がだんだんいなくなってきてるので、アサヒ(佐々木旭)とかケント(橘田健人)とか、ヤスト(脇坂泰斗)などこれからも長く在籍してチームを引っ張っていってほしいなっていう気持ちもあります。そういう選手が増えていけば、もっともっと強いフロンターレを取り戻せるんじゃないかなと思っている。自分たちを貫くじゃないけど、そういうアイディンティはこれから受け継いでほしいなと思います」
なお、川崎で同僚だった1歳年上の日本代表・谷口彰悟と同郷であるのも有名な話だ。実家が近所同士で、小学生時代は遊戯王のカードバトルで毎日のように遊んでいた間柄だそうだ。連絡をした際にはこんな言葉が返ってきた。
「彰悟さんには電話したんですけど、『お疲れ様』って言ってくれましたし、『今後何かやることがあれば協力するから』っていうことは言ってくれたので、嬉しかったですね」
偶然にも、この引退会見は日本代表対ボリビア代表戦が行われた翌日で、谷口が存在感を見せた試合となった。今もなお日本代表の最前線で戦う先輩にエールを送った。
「怪我から復帰してあれだけパフォーマンスできるっていうのはすごいなと思う。今後は彰悟さんのことをすごく応援してますし、今回もワールドカップ選ばれるように頑張ってほしいなと思ってます」
幼い頃から谷口と切磋琢磨しながら成長してきたことは、車屋紳太郎の中で大きな誇りだったに違いない。
このクラブの歴史を最も知る現役選手
35歳となった安藤駿介の引退会見も実施されたのは、今週のことだった。
「このチーム以外でやるイメージ、選択肢が自分のなかにありませんでした。毎年1年ずつやりきって満了という形になったので、ここが決断のときだと思い、引退を決断しました」
湘南ベルマーレに1年だけ期限付き移籍しているが、2009年に下部組織から昇格。下部組織を含めると23年の在籍歴で、このクラブの歴史をもっとも知る現役選手と言っても過言ではない存在だ。
12年のロンドン五輪メンバーとして年代別代表歴があるが、GKというポジション柄、控えに回るとベンチで過ごす時期も長かった。今年2月のACLEで出場を果たすまで、公式戦9年間出場がなかったほどである。それでもクラブは安藤を必要とし、彼もまたクラブに残り続けていた。
ある時期、長く出場していない苦しみとの向き合い方について尋ねると、こんな心がけを明かしてくれたことをよく覚えている。
「自分だけじゃないと思うようにしています。例えばJ1リーグの18チーム(当時)ではGKは18人の先発がいる。4人いたら、3人は出ていない。苦しい思い、辛い思いをしているのは自分1人じゃない。そう思ったら、頑張れるじゃないですか。そこで文句が口に出ちゃう人は、なんで自分ばっかりと思ってしまうのだと思う。そこで自分だけじゃないよって思うようにしています」
出場数や記録には表れない形でチームに貢献した彼のエピソードも数知れない。例えば、6月のリーグ第22節・東京ヴェルディ戦では、試合前のアップ中に控えGKだったチョン・ソンリョンが負傷する緊急事態が起きた。安藤はメンバー外だったが、観戦予定だったため、自家用車で味スタに来場していた。その場でベンチ入りする急展開になったが、冷静に準備を間に合わせてベンチで過ごしている。
22年の夏場には、コロナ禍で陽性反応者が続出した影響で、GKではなく、フィールドプレイヤーのユニフォームを着てメンバー入りしたこともある。当時の記憶を思い返し、「それもいい思い出ですね。アップのボール回しもできないし、暑すぎて頭から湯気が出るぐらい茹で上がってしまった(笑)。フィールドプレイヤーはやっぱりすごいなと思いました」と微笑んだが、そうやって彼はチームにために自分を捧げてきたのである。
出場機会がなくとも長く在籍した理由、そして移籍せずに現役を退く今回の決断。その根底にあるのは、クラブ愛だったと明かした。
「誇れることは、このクラブが好きというものに尽きると思います。単純にこのクラブが好きです。これだけ長くやっていると、他のクラブに行った自分を想像したとき、いまほどの熱量でサッカーができないんじゃないか、と思いました」
長きにわたってチームを支えてきた安藤駿介と車屋紳太郎。11月30日のホーム最終戦後は、両者の引退セレモニーも実施される予定だ。慣れ親しんだ等々力のピッチに別れを告げる最後の時を迎える。
(いしかわごう / Go Ishikawa)

いしかわごう
いしかわ・ごう/北海道出身。大学卒業後、スカパー!の番組スタッフを経て、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の担当記者として活動。現在はフリーランスとして川崎フロンターレを取材し、専門誌を中心に寄稿。著書に『将棋でサッカーが面白くなる本』(朝日新聞出版)、『川崎フロンターレあるある』(TOブックス)など。将棋はアマ三段(日本将棋連盟三段免状所有)。













