高校→プロ転身、手にした初タイトル「本人に少しでも」 生かした16年前…叩き上げ指導者の神髄

町田の黒田剛監督【写真:徳原隆元】
町田の黒田剛監督【写真:徳原隆元】

黒田監督は町田にクラブ初のタイトルをもたらした

 黒田剛監督がプロ転身3年目で天皇杯を制し、初めてのビッグタイトルを手にした。町田の監督就任1年目でJ2を制し、J1昇格1年目で3位と規格外の躍進を遂げていたから、申し分のない成績である。

【PR】DAZNを半額で視聴可能な学生向け「ABEMA de DAZN 学割プラン」が新登場!

 かつてアマチュア時代の日本サッカー界では、プレーヤーとしての実績がないとトップレベルの監督を務めるのが難しかった。他の競技に先駆けて指導者ライセンス制度を整えていたのにもかかわらず、プロ野球のような旧弊が染みついていた。例えば西ドイツ(当時)で最高級のライセンスを取得し、1980年代にブンデスリーガでヘッドコーチを務めた鈴木良平氏でも、帰国してトップチームの監督を務めることがなかった。関係者筋に聞くと「せめてJSLで少しでも実績を残していれば……」とのことだった。

 そこに風穴を開けたのが、叩き上げの指導者として日本代表監督まで上り詰めた加茂周氏で、市立船橋高校で黄金期を築いた布啓一郎氏などは「加茂さんに憧れて指導者の道を目指した」という。しかし高校サッカー界からJリーグへの先鞭をつけた布氏もプロでは目立った成果が挙げられず、そういう意味では黒田監督は新たな突破口を開いたことになる。

 天皇杯決勝に臨んだ黒田監督は「開始15分までに必ず得点が動いたり、予期せぬ出来事が起こる」と実体験から序盤の攻防の重要性を強調したという。もちろんそれはカップファイナルの真実でもあるが、サッカーの本質でもある。こうして町田は「前線に長身選手がいる特性を活かし、ミッチェル・デュークや藤尾翔太を起点に、前向きでセカンドボールを拾い、あるいはサイドからサイドまでのアーリークロスなどを徹底」(黒田監督)させた。町田の選手たちは、全てのプレーに迷いや躊躇がなかった。その分前がかりの守備で序盤の主導権を引き寄せ、指揮官の思惑通り開始6分に先制する。左サイドで攻勢に出て、神戸DFの不十分なクリアや守備の強度が弱まった隙を執拗に突いて決め切ったゴールだった。

 ただし序盤の攻防を制しても、時にはそれが逆効果になることがあるのもサッカーの特性だ。黒田監督は青森山田高校時代に全国高校選手権で6度、プレミアリーグで2度のファイナルを経験し、トータルで5勝3敗(選手権は3勝3敗)。前半から圧倒して快勝した試合もあるが、2019年度の選手権などは開始11分に先制し、前半で2点のリードを奪いながら静岡学園に2-3で逆転負けを喫した。滑り出し良好のシナリオは、逆に相手の捨て身の闘争心に火をつけてしまうこともある。過去の世界のトップシーンを見ても、1974年ワールドカップ決勝では圧倒的に有利と見られたヨハン・クライフを擁すオランダがキックオフから26本のパスをつないでPKを獲得。相手の西ドイツに1度も触らせずに先制したのに逆転負け。2004-05シーズンの欧州チャンピオンズリーグ決勝では、本命視されたミランが前半で3点のリードを奪いながら、後半リバプールに一気に追いつかれてPK負けを喫している。

 だが天皇杯決勝での町田は、序盤の攻勢がチーム内に望外の好プレーも呼び込んだ。前半32分には初めて前を向いてボールを蹴る状況を迎えたデュークが、相馬勇紀に見事なスルーパスを通す。また後半11分には、バイタルエリアでボールを受けた藤尾が「練習でも見たことがない」(黒田監督)という鮮烈なミドルシュートを突き刺した。ただしシュートも見事だったが、そのままフリーで打てたのは相馬のフリーランに注意が引きつけられたからで、重要な舞台で相馬対策の逆手を取る恰好にもなった。

 黒田監督が初めて全国でカップファイナルに進出したのが2009年度の高校選手権。当時MFには柴崎岳と椎名伸志がいて、指揮官は再三両エースがいる強みを口にした。だが椎名は、靭帯断裂の大怪我から異例の短期間で復帰し連戦も重ねていた。またボールを持てば圧倒的な才能を見せる柴崎も、まだ守備の強度を欠いていた。そこで対戦相手だった山梨学院の吉永一明ヘッドコーチは「守りに入ったら逆にやられる」と攻撃的に出ることを指示。開始11分、碓井鉄平の先制ゴールを勝利に結びつけた。

 それから繰り返し大舞台を重ねた黒田監督には同じ数だけ教訓が積み上がり、プロでも武器になることを示した。16年前に故障上がりの椎名の強行出場に踏み切った指揮官は、町田では本来レギュラーだった岡村大八の復帰に細心の注意を払った。

「2か月間も試合から遠ざかっている。本人に少しでも不安があったらやめさせるつもりだった」

 また町田の強さを支えているのは、水際だった獲得選手たちの再生術だ。青森山田時代に「弱点を消す」ことを強調して来た指揮官は、必ずしも順風満帆とは言い切れなかった選手たちの長所を見事に炙り出している。

 蓄積した経験を精査し、柔軟に対応していく。戦い方に好き嫌いがあっても、そこはプロフェッショナルとしての神髄なのかもしれない。

(加部 究 / Kiwamu Kabe)



page 1/1

加部 究

かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング