海外移籍→1年で出戻り「まだ早かった」 新天地でつかんだ初タイトル…心に刻む「もう22歳」

田中聡はルヴァンカップ優勝に貢献した
11月1日のYBCルヴァンカップ決勝でサンフレッチェ広島が柏レイソルを3-1で撃破し、3シーズンぶり2度目の優勝を果たした。セットプレーから全3ゴールを奪った一方で、驚異的な運動量と激しいデュエルで中盤の守備を支えた23歳のボランチも強烈な残像を刻んだ。プロ5シーズン目で自身初めてのタイトルを獲得した田中聡が、数々の挫折を乗り越えながらも追い求めていく選手像に迫った。(取材・文=藤江直人)
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憧れてきた選手像に、プロになって5年目で初めて手にしたタイトルを介して大きく近づいた。
無尽蔵のスタミナを駆使した驚異的な運動量と、球際の激しい攻防を厭わない闘争心。身長175センチ・体重73キロの身体にこれらを同居させるサンフレッチェ広島の田中聡は、こんな目標を脳裏に思い描いてきた。
「うまい選手である前に、自分は強い選手でありたい」
柏レイソルに3-1で快勝し、3シーズンぶり2度目のYBCルヴァンカップ優勝を果たした1日の決勝戦。舞台となった国立競技場のピッチ上で、23歳のボランチは何度も強さを発揮して広島を支えた。
ミヒャエル・スキッベ監督から託された最大の仕事である柏の攻撃陣を操る小泉佳穂を激しいデュエルで徹底的にマークしただけではない。後半アディショナルタイム5分にお役御免でベンチへ下がるまで、両チームを通じて最長の13.231kmの総走行距離をマーク。24回を数えたスプリント回数も同じく2位だった。
神出鬼没の動きで最終ライン前におけるフィルター役を完遂しても、田中は満足していなかった。
「今日はファウルが多くなったし、個の力でボールを取り切れるシーンもあまりなかった。ノーファウルで取ってカウンター、というのが広島の強みなので、もっともっとボールを取り切れればよかった」
目線を高く掲げながら反省の言葉を忘れなかった田中は、メンタル面での強さも発揮している。
前半10分を過ぎた段階で、装着していた黒色のフェイスガードを自ら脱ぎ捨てた。10月12日の横浜FCとのルヴァンカップ準決勝第2戦の前半28分に、相手ボランチの小倉陽太と激しく衝突。小倉にイエローカードが出された一方で、4分後に負傷退場を余儀なくされた田中は脳震盪および顔面骨折と診断された。
受傷から5日後。FC東京とのリーグ戦でベンチ入りメンバーから外れた田中だったが、25日の横浜F・マリノス戦では後半開始からピッチに立つ。顔面に装着されていたのが患部を保護するフェイスガードだった。
「でも、やはり(フェイスガードは)邪魔だったし、決勝だし、とりあえずタイトルがほしかったので。トレーナーからは『絶対に脱ぐな』と言われていたんですけど、結果的によかったと思っています」
小泉を徹底マークするためにも、キックオフから10分足らずで視界を狭めるフェイスガードを不要のものだと判断した。接触プレーが不可避のサッカーで、怖さはなかったのか。田中は平然と語っている。
「あくまでも自分の感覚として、やっていていけそうだなと思ったので。怪我がなくてよかったです」
慣れ親しんだ湘南を離れ、新天地の広島へ
決して順風満帆なキャリアを歩んできたわけではなかった。むしろ挫折のほうが多かったといっていい。
たとえば湘南ベルマーレのU-18から、トップチームへ昇格して2シーズン目の2022年8月。ベルギー1部のコルトレイクへ期限付き移籍し、夢のひとつにすえていた海外挑戦をスタートさせた。しかし、新天地で思うように活躍できず、買い取りオプションを行使されないまま1年間の契約期間が満了した。
湘南への復帰が発表された2023年6月。田中はチームを通じてこんなコメントを発表している。
「自分にとって海外でプレーするのは、まだ早かったと感じています」
自虐的に聞こえる言葉には、捲土重来を期す田中の不退転の決意が反映されていた。当時の自分には何が足りなかったのか。ベルギーの地で目の当たりにした感じた最大の違いを、田中は次のように語っていた。
「海外では点を取れるボランチがどんどんステップアップしていく。ベルギーに行く前の自分にはそういうプレーが少なかったので、得点やアシストでチームを勝たせられるような選手になっていきたい」
ボランチの選手がゴールに絡んでいくには、うまさだけでなく強さも求められる。ボックス・トゥ・ボックスを何往復もできる運動量。ミドルシュートもねじ込める脚力。ボランチとして中盤の底で相手ボールを刈り取れる能力もさらに磨いかなければいけない。目指していく選手像がいつしかできあがっていった。
それでも出場資格のあった昨夏のパリ五輪は、本大会に臨む18人のメンバーに選ばれなかった。
「薄々気がついていたというか、代表チーム内における自分の立ち位置というのは、自分自身が誰よりもよく理解していました。もちろん悔しい気持ちはありましたけど、メンタル的に落ち込むこともなかったです」
自分自身を変えていく過程にあったととらえていたのだろう。湘南の下部組織出身の大先輩であり、ポジションも同じ遠藤航(リバプール)の背中を追いはじめた田中は、さらにこんな言葉を紡いでいる。
「サッカー人生はオリンピックだけじゃない、とも思っています。ここから先、フル代表に入っていくとか、あるいは再び海外へ挑戦できるように湘南で頑張っていきたい」
昨シーズンは自己最多の4ゴールをマーク。そのなかには後半アディショナルタイムに長い距離を走ってペナルティーエリア内へ侵入し、利き足の左足から強烈な一撃を一閃。首位だった広島を撃破した第34節の決勝弾も含まれる。迎えたオフ。広島からオファーを受けた田中は逡巡した末に移籍の決断を下した。
慣れ親しんだ湘南を離れ、新天地でポジションをつかみ取ったときにより上のレベルへ到達できる。断腸の思いで下した決断に悔いはない。それでも古巣への感謝の思いは広島で選んだ「14番」に凝縮されている。
「好きな番号というか、湘南のU-18でも『14番』だったので。そういう思い出もちょっとありました」
7月に韓国で開催された東アジアE-1選手権に臨んだ森保ジャパンに追加招集され、中国代表戦で先発してデビューも果たした。もちろん、まだまだ階段を駆けあがっている過程にある。広島で4歳下の逸材・中島洋太朗と出会ってからは、田中の心に「まだ22歳ではなく、もう22歳だ」という危機感も頭をもたげた。
8月には23歳になり、プロになって初めてタイトルも獲得した。それでも田中は「あまり実感がわかないんですよ」と苦笑しながら、柏から奪った3ゴールがすべてセットプレーだった得点内容を反省している。
「流れのなかからの得点ができなかった。今シーズンの課題でもあるので改善していきたい」
歓喜の戴冠から中2日。ホームの広島サッカースタジアムに江原FC(韓国)を迎えた、4日のAFCチャンピオンズリーグ・エリート(ACLE)のリーグステージEAST第4節でも田中はボランチで先発フル出場。1-0の勝利に貢献した中盤のダイナモは「成長」の二文字だけを胸を秘めて、一心不乱に前進していく。
(藤江直人 / Fujie Naoto)

藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。





















