現役時代に始めた経営…弟に「店長で戻ってきて」 元日本代表がフロント転身した理由

徳島で強化本部長を務める黒部光昭氏【(C) T.VORTIS】
徳島で強化本部長を務める黒部光昭氏【(C) T.VORTIS】

徳島の強化本部長を務める黒部光昭氏「商売にすごく興味がありました」

 京都パープルサンガなどでストライカーとして活躍し、日本代表にも選出された経験を持つ黒部光昭氏は現在、地元の徳島ヴォルティスで強化本部長を務めている。J1昇格を目指す地元クラブで奮闘する黒部氏は、なぜセカンドキャリアとしてフロント入りを選んだのだろうか。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・工藤慶大/全5回の1回目)

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 徳島商業高校、福岡大学を経て2000年に京都に入団した黒部氏。2001年に41試合30ゴールの活躍でJ1昇格に貢献すると、J1でも2年連続となる2桁ゴールの活躍で、ジーコジャパンとしても4試合に出場した。2002年の天皇杯では松井大輔、朴智星とのトリオで躍進。決勝戦では決勝点を決め、初優勝に貢献した。

 その後はセレッソ大阪、浦和レッズ、ジェフユナイテッド千葉、アビスパ福岡、カターレ富山と移籍。そして2014年、タイ1部リーグのTTMカスタムズFCでプレーしたのを最後に現役引退した。2015年12月には富山の強化部長に就任してフロントとしてのキャリアをスタートさせ、今年でちょうど10年目となった。

「商売っ気のある家系だったんですよ。父も母も自営業で、だから家で商売の話を聞く機会が多かった。選手は大事な商品。スカウトする、要はいい素材を取ってくるとか、高く売るとか、そういう商売みたいな感じ。そういうところにすごく興味がありました」

 実際、C大阪時代の2005年には、徳島でフットサル場「シーサイドフットサル徳島」をオープン。現役Jリーガーとして初のフットサル場のオーナー経営者になったが、「あのときはまだセカンドキャリアとかをみんな考えていなかったし、実際に自分もフットサル場をやることになったのは1つきっかけもありました」と振り返る。

 思い返すのは、京都でのプロ1年目。先輩のチームメイトが飲食店を経営しているという噂を聞くと、「正直そのとき大卒の自分は、プロサッカー選手なんだから、サッカーに100%集中しろよって思っていました」と明かす。

 それからしばらく、向かうところ敵なしの活躍でスターの階段を駆け上がっていった黒部氏。「最初は、せっかくプロサッカー選手になれたのだから、変なことを考えずにそこに100%を出すのがプロなんじゃないのかって思っていたんです」。そんな考え方に変化の機会が訪れたのは、26歳の頃だったという。

 膝を怪我し、思うようなパフォーマンスを出せなくなっていた黒部氏。小学校、中学校、高校、大学と「頑張ればスタミナがつく、パワーがつく、サッカーがうまくなる」と無我夢中で努力をしてきたが、「それって永遠に続くものではないのかもしれないなって、初めて感じたときだったんですよ」と語る。

「パフォーマンスが永遠に上がり続けることはないんじゃないのかなと、立ち止まってしまったタイミングがありました。自分のサッカー人生は絶対どこかに終わりがある。でも、自分の人生に終わりはない。自分の人生ということも考えないといけないんじゃないのかなと思ったのが、そこがきっかけでした」

 ちょうどその頃、黒部氏の弟が大学を卒業するタイミングだった。そこで現役選手と並行して経営にも興味があった黒部氏が、「徳島にフットサル場を作るから、店長で戻ってきてくれよ」と弟に持ちかける。「わかった。その思惑に乗るわ」との返答をもらうと、家族経営で開業。営業期間は20年を超えた。

 フロントとして富山で5年、名古屋グランパスで3年、そして徳島で2年目を迎えた黒部氏。昨季は第7節終了後、最下位の状況で強化本部長に就任し、J2残留というミッションを達成すると、今季は3試合を残して5位と、目標のJ1昇格へと好位置につけている。順風満帆にも見えるが、強化部としての向き合い方には現役時代の苦い経験があった。

(FOOTBALL ZONE編集部・工藤慶大 / Keita Kudo)



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