2歳で母が他界、男手一つで「パンダのお弁当を」 海外挑戦に“待った”…たった1度伝えられた本音

大宮WOMENの大島暖菜はWEリーガーとなって4シーズン目
女子サッカーの未来を考える――。5年目を迎えたWEリーグと、FOOTBALL ZONEは共同企画「WE×ZONE ~わたしたちがサッカーを続ける理由~」で、日々奮闘する選手たちの半生に迫る。第2回はRB大宮アルディージャWOMENのMF大島暖菜(はるな)。連載1回目は、高卒でWEリーガーとなった大島を男手一つで支えた父との二人三脚で歩んだ道のりについて。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞/全4回の1回目)
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「父が自慢できるような人でありたいと思っています」
簡単な言葉で言うと、恩返し。だが、大島と父の間にはそんな言葉で表せられないほどの絆があった。
2005年3月29日、大島は東京都で生まれた。サッカーを始めたのは6歳の時。2011年のFIFA女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会でなでしこジャパン(日本女子代表)が優勝を果たしたことがきっかけだった。「すごくかっこいい」。7歳上の兄が小学生の頃使っていたサッカー用具を父が処分した直後だった。
「小学1年生の時にやりたい、と私が言って、父がもう1度新しく買ってくれました。父は『もったいなかった?!』と言っていましたね(笑)」
地元の街クラブ・欅SC女子サッカー部へ。低学年の時から高学年の午後練習に混じり、ひとりだけ“2部練”するほど夢中になった。ただ、スイミングスクールと新体操も掛け持ちしていたため、ハードな日々。「新体操をやって、プールへ行って、最後にサッカー。本当に楽しくて、バテバテになって家に帰っていました。もうそれで1日が終わっちゃって」。送迎をしてくれていたのは父だった。家族3人で手を取り合い、毎日を全力で過ごした。
別れは突然だった。大島の記憶には残っていない。2歳の時に母が病に倒れ、他界した。それでも寂しい思いはしなかった。いつも寄り添ってくれる父。大島の決断を否定せず、常に背中を押してくれた。
「お弁当を作ってくれたり、本当にすごいと思います。女の子のお弁当を作るなんて……幼稚園の時にはパンダとか作ってくれました。男手一つで支えてくれた。サッカーをしている姿を今見せられているのは恩返し。いや、恩返しというか……」
簡単な言葉で表せないほどの感謝があった。
父の言葉で思いとどまった海外挑戦「冷静になれた」
中学でもサッカーを続け、高校は山梨の日本航空高校へ進学。高校サッカー選手権、高校総体、全国の舞台を経験して、高卒でWEリーガーとなった。「暖菜がやりたいことをやればいい」。どんな時も前向きな言葉をかけ続けてくれた父が1度だけ“本音”をのぞかせたことがあった。
高校3年生で進路の決断をする時。大宮を含め複数のクラブからオファーが届いた。中には地元の大学へ通学しながらプロ入りする提案もあった。自身のなかでは海外行きも選択肢。その時初めて父が「海外は今じゃなくてもいいかもしれないよ」と“待った”をかけた。
「父なりの意見を言ってくれて、自分も冷静になれた。勢いで選ぶのではなくて、いろんな面を見てどれがいいか選択できた。父は大学にも行けるからもう1つのクラブが良かったと思う。でも私がサッカー1本でやっていきたいと決意を固めた。なので大宮にしました。父は後押ししてくれる存在だけど、自分が思いつかない意見をくれて正しい方向に導いてくれる。決めるのは自分だよ、と自由にやらせてくれました」
幼き頃から才能を開花させ、一段ずつ着実に上ってきた。WEリーグ屈指のスピードスターのドリブラー。憧れ続けるのは日本代表MF三笘薫(ブライトン)だ。WEリーガーとして、4シーズン目の20歳。「父が自慢できるような人」――。大島は覚悟を決め、ピッチに立つ。



















