17歳から飛び出した「何でですか?」 元代表が見た覚醒の瞬間…久保建英が異次元になれた理由

高萩洋次郎の活躍もあり2019年は2位に躍進した【写真:産経新聞社】
高萩洋次郎の活躍もあり2019年は2位に躍進した【写真:産経新聞社】

長谷川健太監督が作り上げた“負けないチーム”

 サンフレッチェ広島やFC東京で活躍し、今年1月に現役引退を発表した元日本代表MF高萩洋次郎氏が、「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じた。FC東京が長谷川健太監督のもと、最終節まで優勝争いを繰り広げた2019年。指揮官が作り上げた“負けない”チームの印象や、若き日の久保建英について語った。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・井上信太郎/全11回の9回)

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 2019年はFC東京にとっても、高萩にとっても印象深いシーズンとなった。前年に長谷川健太監督が就任。広島時代にはミハイロ・ペトロヴィッチ監督や森保一監督ら名将のもとでプレーしたが、長谷川監督の“カリスマ性”には驚かされた。

「やっぱり健太さんの影響力はすごいなって思います。今までミシャさんや森保さんを経験しましたけど、優勝争いをする、結果を出す監督はそれぞれ特色があるなと感じますよね。健太さんのすごさは、選手の名前に負けないというところ。自分が一番ボス、っていう見せ方が上手ですよね。選手は従わなきゃいけない部分はありますけど、チームに1本の筋を通すことができる。

 それでいて、意外と話を聞いてくれるし、人間味があるんです。ダメなものはダメ、いいものはいい。やらなきゃいけないことはやらないといけないですけど、許容範囲も結構ある。懐が深いですよね。めちゃくちゃサッカーを見ているし、シュミレーションもしているし、だから勝てるんだろうなとは思いましたね」

 プレシーズンから“予感”はあった。守備陣には森重真人や室屋成、中盤には高萩や橋本拳人、前線には永井謙佑やディエゴ・オリヴェイラと日本代表クラスの実力者がズラリとそろっていた。そこに就任2年目となり、長谷川監督が掲げるアグレッシブなプレスからスピーディーな攻撃を仕掛ける“ファストブレイク”が浸透した。

「純粋に強いなと思いました。たしか、キャンプでも練習試合は負けなかった気がします。みんなが見て、いいサッカーかは分からないですけど、負けないチームだなって感じでした。後ろも含めていいメンバーだったなと思いますし、健太さんが作り上げた負けないサッカーを迷いなくできたかなと思います」

FC東京時代の久保建英【写真:徳原隆元】
FC東京時代の久保建英【写真:徳原隆元】

横浜FMと最終節まで優勝を争った

 序盤から上位争いを繰り広げたFC東京は、第9節の松本山雅FC戦に勝利し、首位に立った。その要因のひとつになったのが、当時17歳の久保建英の活躍だった。2列目の右サイドを任されると、キレのあるドリブル、創造性あふれるパス、そして献身的な守備でもチームに貢献した。だが実質プロ1年目となった前年は出場機会を得られず、シーズン途中で横浜F・マリノスに半年間のレンタル移籍を経験していた。

「驚いたのはボールを持っている時と持っていない時のスピードが変わらなかったんです。何ならドリブルしている方が速いんじゃないかなと思うような感覚はありましたね。技術的にはもちろん飛び抜けていましたし、言うことはなかったですけど、僕が17歳でプロになった時も一緒で、まだちょっと物足りない感じはありましたね」

 当時の横浜FMは、のちにセルティックやトッテナムでも指揮を執るアンジェ・ポステコグルー氏が監督を務めており、強度の高いトレーニングが求められた。半年後にFC東京に帰ってきた時には、別人のように変化していたという。

「一番すごいなと感じたのは、その成長スピード。もちろんフィジカル的にちょうど伸びる時期だったのもあると思いますけど、体も一回り大きくなっていましたしね。建英は何でも吸収してやろうという意識がすごい。僕とかいろんな人に『何でですか?』『何でこうなんですか?』『どういう意識なんですか?』とかガンガン聞いていた。その成長しようとする気持ちに、フィジカルが追いついてきて、あのタイミングでガッと伸びた印象ですね。僕とは技術的なものも全然違うし、プレースタイルも違いますけど、やっぱり成長する意識が全然違いました。この成長する角度がグングングングン伸びていきましたね」

 6月4日に18歳になった久保は、欧州へと渡った。チームにアクセントを加えていたレフティーがいなくなったことで心配されたが、長谷川監督が作り上げた“負けない”チームは粘り強く勝ち点を重ねていった。だが徐々に勝ちきれない試合が続くようになり、11月23日に行われた第32節・湘南ベルマーレに1-1で引き分けたことで、首位から陥落した。

 2位で迎えた最終節、首位・横浜F・マリノスとの直接対決だった。優勝するには4点差以上つけて勝たないといけない厳しい状況だった。先発した高萩も懸命に戦ったが、結果は0−3で敗戦。FC東京の悲願である初優勝にはあと一歩届かなかった。

「あの年はチャンスだったなと思います。結果、優勝はできなかったですけど、充実していましたね」

33歳になっていた高萩はこの年、リーグ戦33試合に出場し、計2793分プレーした。東京で最も輝いたシーズンだった。

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