見えてきた生涯プロ「還暦と言わず」 ブラジル名門と契約から40年…カズの心に生き続ける“風景”

プロ40周年記念試合に出場した三浦知良【写真:荻島弘一】
プロ40周年記念試合に出場した三浦知良【写真:荻島弘一】

カズのプロ40周年記念試合が行われた

 JFLアトレチコ鈴鹿のカズ(三浦知良)が、自身の「プロ40周年記念試合」で躍動した。カズは7月6日、ホーム三重交通Gスポーツの杜鈴鹿で行われたヴィアティン三重戦で今季初の先発出場。クラブ史上最多4917人の大観衆の前で前半45分間プレーした。試合は終了間際に鈴鹿が追い付き3-3で引き分け、カズがゴールに絡むことはなかった。

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 大観衆の視線が鈴鹿の背番号11に注がれる中、先手を取ったのは三重だった。キックオフから1分30秒でDF池田直樹(30)がミドルシュートを突き刺し先制。エースFW青戸翔(28)が9分にCKを頭で決め、さらにPKも決めて、13分までに3点をリードした。

 カズは前半5分過ぎに左サイドでスローインのボールを受けると身体を反転させて抜け出し、FW三好辰典(25)に絶妙なスルーパス。オフサイドで得点には至らなかったが、チャンスを演出してスタンドを沸かせた。

 その後もスペースに走り込むなどしてパスを待ったが、なかなかボールに絡めず。前線で孤立してシュートも打てなかった。それでも、失点後にはキャプテンとして選手たちに指示を出すなどチームを鼓舞。FW桐蒼汰(25)が21分に1点を返し、2点ビハインドで折り返した。

 カズが退いた後半、鈴鹿は途中出場のFW田中直基(32)が1点を返し、アディショナルタイムには同じく交代出場のFW福元友哉(25)が同点弾。プロ40周年のカズがベンチで見つめる中、ともにJ3昇格を目指すライバル同士の「三重ダービー」は激闘の末に引き分けた。

 記念試合を勝利で飾れなかったカズは「残念。お客さんに勝利を贈りたかった。試合の入り方が良くなかった」と話した。それでも前半のうちに1点を返せたことで「0-3と1-3で折り返すのは、全然違う。後半入った選手が活躍してくれて、何とか勝ち点1をとれた。最低限の結果は得られたかなと思う」と振り返った。

 自身のプレーに対しては「満足いくものではなかった」と話した。序盤に3点をリードされ「前半は向こうのペースだったし、自分のリズムではプレーできなかった」。さらに試合の入り方も反省。記念試合で大観衆。「いつもより選手のテンションが高かった。経験を積んできている中、あの時間帯の大切さを伝えられなかった。もっと声をかけて、緊張感を高めていけたら」と悔しがった。

 山本富士雄監督がカズに期待するのはゴールに絡むプレー。前線でパスを受け、三好や桐らスピードあるFW陣を走らせ、再びゴール前でラストパスを受けて決める。そんなイメージだが、序盤の3失点で「ゲームプランが壊れてしまった」と同監督。もともと、目指すのは中盤でしっかりボールをキープしてビルドアップしていくポゼッションサッカー。それが難しくなった。

 過去5戦でベンチに入れたカズを1試合しか起用しなかったのは「蹴り合いの中では良さが生きない」から。この日はコンディションが上がったことと、相手のスタイル、ピッチ状態などで良さが生かせると思っての先発起用だったが、結果的に「蹴り合い」が増えた。カズも「もう少しリズム良くボールを前に運べていれば。攻撃が途切れ途切れで、ロングボールが多くなった」と振り返った。

 悔しい気持ちを吐露しながらも、次の試合に向けて立ち止まってはいない。「11時間後には練習なので、また次の試合に向けて準備するだけ。思っていたプレーが次の日曜日に出せるように、頑張っていきたい」と、いつもと同じように次の1週間を念頭に話した。

カズ「5万人の前でも、100人の前でも試合をしたことがある」

 もっとも「40周年記念」のこの日は、これで終わりではなかった。19歳の誕生日直前の1986年2月24日、ブラジルの名門サントスと契約してから40年のプロサッカー選手人生を振り返るような質問も飛び出した。

―40年間のプロ人生で今思うことは。
「スポーツで40周年を迎えることはなかなかないと思うので、僕は幸せだなと思います。みなさんのおかげ。チームメートにも『みんなの助けがあって、プレーできている』と感謝しますし、本当にありがとうという気持ちが強いです」

―ここまで続けられると思っていましたか。
「20代、30代の時に40、50までやりたい、時には還暦までとか言ったけれど、半分以上は冗談でした。そこまでやれると思っていなかったし、続けられるとも思っていなかった」

―続けられたモチベーションはどこにありますか。
「40、50になって、まだうまくなりたい、試合で活躍したいという気持ちが20代、30代の時よりも強くなってきた。支えられながらチームメートと一緒に勝つために努力すること。まだうまくなりたいと本気で思っていることが、モチベーションになっています。それから、僕がヴェルディや日本代表で活躍していたことを知らない子供たちがカズ、カズと言ってくれる。同時に60代、70代の方も小中学生と同じように言ってくれる。それもモチベーションになっています」

―北沢豪さんは「年金もらいながらやってほしい」と話していましたが。
「続けられるなら還暦と言わず、ずっと続けていきたい。ただ、今みたいに毎日みんなと一緒に練習するのは本当に大変。みんなが僕を見ているので、いつも元気でなければいけない。特にここ2週間くらいは、この暑さで毎日トレーニングしていくことの大変さはあります。チーム練習以外にもジムに行って調整しなければいけないし、休んでまたすぐ練習。猛暑の中で続けていけるかは分からない。続けたいのは続けたいけれど、本当に大変。あまり大変とは言いたくないし、みなさんには分かってくれなくもいいんですけど(笑)」

―40年前のブラジルでは苦労もされたと思いますが、それが今も生きている部分はありますか。
「練習グラウンドが悪い、クラブハウスもない。プロとして5万人の前で試合をしたことも、100人のところでやったこともあります。バスで24時間かけて行った試合会場が練習場よりひどいこともありました。いろいろな経験をして、環境は変わっても、そこの街で友達をつくり、プレーしてきた。その経験は大きいですね。あれがなかったら、こうやって続けてこられたか分からないですね」

―今日もいいプレーがありましたが、プレーする喜びはどういう時に感じていますか。
「いいプレーをした時はうれしいし、まだ自分がこういうプレーができる、チームに貢献できると思います。練習でも多くありますし、それがあるから充実した毎日を過ごせています。逆に、こんなプレーしかできないかと情けなくなる時もありますし、落ち込むこともあります。ただ、そういう感情でいられるのは幸せなことなんじゃないかと思っています」

 記念試合ということもあって、今季初めて着席での「記者会見」方式で行われた試合後の取材。カズは多くの報道陣の前で58歳としての本音、本心を吐露した。鈴鹿との契約は来年1月までだが、シーズン制が変わるJFL、Jリーグでプレーを続ければ次のシーズン中に60歳の誕生日を迎えることになる。「何歳までとかは考えない」と話してきたカズだが「還暦プロ」が現実的になってきた。

(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)



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荻島弘一

おぎしま・ひろかず/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。

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