黒田監督からの一言に「もう笑っちゃって」 J1で再会した恩師…絶叫した「よっしゃぁーーーーーっ」

町田の黒田剛監督とCB菊池流帆は青森山田で共闘
首位を快走する鹿島アントラーズを、FC町田ゼルビアが2-1で撃破した21日のJ1リーグ第21節。今シーズンにヴィッセル神戸から加入しながら怪我の連鎖に見舞われ、リーグ戦では14試合ぶりに復帰を果たした青森山田高出身のセンターバック菊池流帆と、高校サッカーから転身を遂げて3シーズン目を迎えている町田の黒田剛監督と、実に11年ぶりに共闘することになった絆に迫った。(取材・文=藤江直人)
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キックオフが近づいてきた大一番へ、闘争心を極限まで高めていたときだった。相手は首位を快走する鹿島。1トップには得点王争いでトップに立つレオ・セアラがいる。勝敗を左右する“タイマン勝負”へ臨もうとしていたFC町田ゼルビアのDF菊池流帆は、試合前のミーティングで思わずずっこけている。
「何か『盛り上げろ、盛り上げろ』とめちゃ言うんですよ。今日の盛り上げ隊長はお前だ、と」
声の主は町田を率いる黒田剛監督。左右の太もも裏の肉離れを繰り返し、リーグ戦では3月29日のアビスパ福岡戦以来、14試合ぶり3度目の先発を果たした菊池はこのとき、盛り上げ隊長役も拝命している。
「僕自身はけっこう試合へ向けて集中していたんですけど、(監督の言葉で)もう笑っちゃって。今日はそういう役割だと思ったというか、試合中は意識して、ちょっと多目にやっていた感じですね」
盛り上げ隊長とは何を意味するのか。最強のエアバトラーを自負する身長188cm体重80kgの菊池は、空中戦でヘディングを見舞う刹那に「よっしゃぁーーーーーっ」と絶叫する。入場者が制限されたコロナ禍でスタジアムに響きわたり、一躍有名になった叫び声を何度も発して、チームを鼓舞し続けろという指示だった。

始動日にはチームを爆笑させた
プロで7年目を迎えた今シーズン。史上2チーム目のリーグ戦3連覇を狙うヴィッセル神戸から、J1で2シーズン目の戦いに挑む町田へ完全移籍した。右膝の後十字靱帯と左膝の前十字靱帯を損傷する大怪我を負った影響で、神戸の連覇にまったく貢献できなかった日々が菊池を移籍へと駆り立てていた。
町田もまた菊池を必要としていた。3バックへ本格的に移行する今シーズン。町田の編成および強化の最高責任者を務める原靖フットボールダイレクターによれば、センターバック(CB)の補強を進めるうえで、青森山田高で黒田監督の指導を受けた菊池の名前が「黒田さんをよく知る、という意味でも上がっていた」という。
黒田監督のリクエストもあり、オファーが届いた瞬間に、菊池は他にもあったオファーにすべて断りを入れた。迎えた町田の始動日。練習前の初ミーティングで新加入の挨拶に立った菊池は、チームを爆笑させている。
「青森山田高校から来ました菊池流帆です。よろしくお願いします」
菊池自身は「挨拶の順番が4人目だったので、何か違うことを言って、インパクトを残さなあかんと思って」と意図を説明した。この物怖じしなない度胸のよさと屈託のない明るさもまた、黒田監督が求めたものだった。
「いきなりあんなことができるのはリュウホしかいないので。そういった明るさも含めて、ですね」
こう語りながら目を細めた黒田監督と、菊池の出会いは2012年の春。岩手県釜石市で生まれ育った菊池は、黒田監督に率いられる青森山田のサッカーに憧れた。最初は特待生を志願するもセレクションで落ち、それでもあきらめずに一般入試で合格、サッカー部内でもっとも下に位置するDチームから這い上がっていった。
3年次には夏のインターハイでベスト4へ進出し、PK戦の末に初戦で敗退したものの、冬の全国高校サッカー選手権のピッチにも立った。サイドハーフとして入部した菊池は下手くそだと認め、唯一、通用していたヘディングの強さを生かすためにCBで勝負したいと直訴。コンバートをへてレギュラーを獲得した苦労人でもある。
鹿島エースFWを完封「自分には勝つ自信しかありません」
卒業後は黒田監督の母校でもある大阪体育大学へ進学。空中戦における「よっしゃぁーーーーーっ」は大学時代から発するようになった。卒業時に唯一、オファーを受けたJ2のレノファ山口へ加入した2019シーズン。ルーキーながら35試合、2974分にわたって出場した軌跡で、神戸からの獲得オファーを手繰り寄せた。
プロの世界でもはい上がっていった過程で、自らの生き様をプレーに反映させるようになった。
「苦しいときに歯を食いしばってプレーできる選手の代表として、僕がいると思っている」
菊池が心身に脈打たせるたくましさもまた、今シーズンの町田に必要だと黒田監督は考えていた。初めてJ1リーグを戦った昨シーズンに終盤戦まで優勝争いに絡み、最終的には3位でフィニッシュした。チャレンジャー精神を貫きながら、追われる立場にもなる戦いで、菊池の“強さ”が町田の新たな武器になると信じた。
指揮官が描いた構想は、菊池を3バックの真ん中に配置。相手のエースストライカーとの“タイマン勝負”を菊池が制し、左の昌子源、北海道コンサドーレ札幌から加入した右の岡村大八との連係で堅守を築きあげる。
しかし、サンフレッチェ広島との開幕戦は前半に岡村、後半開始早々に菊池が相次いで負傷交代し、試合も1-2で敗れた。菊池が一時的に復帰した前出の福岡戦も、菊池が交代した直後に何とか追いついて2-2で引き分けた。菊池がフル出場を果たし、2-1で勝利した鹿島戦は、今シーズンの構想が初めて奏功した一戦でもあった。
失点は2点リードで迎えた状況で菊池がペナルティーエリア内でFW鈴木優磨を倒し、献上したPKを後半40分に鈴木に決められて喫した。余計な失点だったと反省しながら、菊池はこんな言葉を紡いでいる。
「首位の鹿島を相手に先発した意味というのは、自分が気持ちをもって戦い、チームを盛り上げ、最後のところで体張るといった部分が求められたと思うし、それらを多少なりとも表現できたんじゃないかな、と」
さらにシュート1本に封じ、後半31分に交代させたレオ・セアラとのマッチアップをこう振り返った。
「いつも相手を気にしないというか、誰が来ようと、自分には勝つ自信しかありませんでした」
恩師と慕ってきた黒田監督が、青森山田高から町田に転身したのが2023シーズン。そのときから「いつかは再び監督と選手として」と思い描いてきた菊池が夢をかなえてから半年。怪我の連鎖もあって一時停止を余儀なくされていた恩返しの思いは、町田が初めて臨むAFCチャンピオンズリーグエリート(ACLE)も加わる後半戦で、町田の最終ラインで響きわたる「よっしゃぁーーーーーっ」を介して勝利へと変換されていく。
(藤江直人 / Fujie Naoto)

藤江直人
ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。