ヴィニシウスが流した涙に思わずもらい泣き 日本人女性記者が感じた「全く必要のないはずの戦い」【現地発コラム】
藤原清美さんが感じたヴィニシウスの「覚悟」
スペイン1部レアル・マドリードのホームスタジアムであるサンティアゴ・ベルナベウで、3月26日にスペイン対ブラジルの親善試合が開催された。強国同士の対戦が注目されたのはもちろんだが、この試合の前日に行われたブラジル代表FWヴィニシウス・ジュニオール(レアル・マドリード)の記者会見が、この両国のみならず世界中で反響を呼んだ。
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この試合は昨年6月から、ブラジルサッカー連盟(CBF)とスペインサッカー連盟(RFEF)の間で開催が決まっていた。世界的にも大きく報道されたとおり、昨年5月21日、レアル・マドリードがバレンシアと対戦した際、相手チームのサポーターからヴィニシウスに対する侮辱行為が執拗に行われ、試合が約10分間にわたって中断されるという事件があった直後のこと。彼に対してピッチの内外で繰り返される人種差別行為について、CBFがRFEFに対策を求めるなかで、その撲滅への意を表明するために、両サッカー連盟が手を取り合ったのだ。
この会見の2日前、ウェンブリースタジアムで親善試合イングランド対ブラジル戦が行われたのだが、イングランド滞在中、選手の記者会見で英語の通訳が入ったのは、ブラジル報道陣による質疑応答が終わったあとの、最後の数問のみだった。
それが、ヴィニシウスの会見ではすべての質疑応答が、スペイン語に通訳された。ヴィニシウスの言葉を正確に伝えることが配慮されたのだ。そして、スペイン報道陣からの質問にも多くの時間が割かれた。その時は、すでにポルトガル語で答えたのと同じ質問であっても、本人がスペイン語で再度丁寧に答え直した。
自分の思いを語り、何度か感情が込み上げて言葉に詰まった彼は、CBF広報に小声で会見を終了したいかと確認された際も、「大丈夫」と答えて続行した。
こうして会見は、人種差別撲滅のために戦い続けるのだという意志と、差別に苦しむ世界中の黒人の中でも、国際的な発言力を得た自分の役割を背負う覚悟を、彼がより強く表明した40分となった。
ヴィニシウスが直面するジレンマ「侮辱する人がますます増える」
最初の質問から、それが強く反映されるものだった。
「なぜ、あなたなんだと思いますか? これほどまでの多くの侮辱を受けるその標的に、なぜ、あなたが“選ばれた”んだと思いますか?」
ヴィニシウスは語った。
「僕が試合ごとに、日ごとに経験していることは、とても悲しいことだ。そして、僕だけじゃない、すべての黒人が人種差別に日々苦しんでいる。1人で戦うのは消耗するよ。でも、僕はこの状況を経験しているすべての人のために戦っているんだ。あなたが言うように、僕が“選ばれた”のなら、とても重要な大義を守るために選ばれたんだ」
しかし、現実にはジレンマも感じている。
「これまで何度も訴えてきたけど、そのたびに僕を侮辱する人がますます増える。彼らは僕を反スペインだと思っているけど、僕は世界中のどこにおいても、人種差別主義者に反対しているんだ。こういうことが起こるたびに、もっと悲しくなるし、プレーする意欲を失っていく。でも、僕は戦い続けるつもりだ」
そして、言葉に詰まった。
提案もした。これまでも繰り返し主張してきた提案だ。
「彼らは罰を受けないことで力を得て、何をしてもいいと思ってしまっている。僕の肌の色について言う言葉が、ピッチでの僕に影響を与える可能性があることを分かっている。もし、これが犯罪だとも思わずに罪を犯している人たちを罰し始めたら、彼らは考えを変えないまでも、そういうことを言うのが怖くなる。スタジアムでもどこでも、カメラがあるところでは……。怖がらせることで、そういうことが減っていく。それから、自分の子供たちを教育することもできる。ここでは多くの場合、子供たちが僕を罵ったりするけど、子供たちのせいじゃない。彼らは理解していないんだから。難しいよ」
ヴィニシウスが訴えた「いつでも笑っていたい」思い
ブラジルでは、CBFのイニシアチブにより、サッカーにおける人種差別に罰則が適用される法律ができたことを例に挙げ、そのために人種差別は減りつつあるとも語った。
昨年2月、CBFが運営する大会のレギュレーションに罰則が組み込まれたのだ。クラブの代表やフロント、選手、監督、技術スタッフ、サポーターに人種差別的な行為があった場合、スポーツ裁判所に報告され、該当するクラブはそこで裁定されたポイントが減点される。審判も同様だ。また、その制裁がスポーツの中だけで終わらないよう、連邦検察省と民事警察にも報告され、法によって罰せられるというものだ。
実際はスペインでも、罰金や一定期間のスポーツ施設への立ち入りが禁止されるなど、ヴィニシウスへの人種差別行為に罰則が適用された例がある。それでも、差別は増えていると彼は感じている。
「僕だけのためなら、もう諦めているだろう。家にいれば、誰も僕を罵らないし、僕に何もしない。そして僕は、チームのためにベストを尽くせるよう、試合に集中して臨むんだ。でも、それがいつでも可能なわけじゃない。毎日、集中するためにすごく頑張らないといけないんだ……」
そこまで言って、彼は涙を堪え切れなくなった。一瞬静まり返った会見場には、彼を励ますための報道陣の拍手が広がった。
人種差別にあった時、また、それについて話す時、彼が涙を流す場面を何度も見た。そしてまた、ここでも泣いた。そのため、会見も終盤に近づいた時、質問をした。彼がそれでも戦うと繰り返し語る、その力がどこから来るのか。それを語る時、彼にどんな表情が浮かぶのか。
「あなたはこれまでに何度も泣き、そして何度も立ち上がってきました。あなたがさらなる強さを必要とする時、心に思い浮かべる何かがありますか? 家族や誰かなのか、なんらかの思い出やイメージ、なんらかの言葉なのか、何があなたにそこまでの強さを与えているんですか?」
ただ、質問をするこちらの感情が込み上げてしまった。以前取材したことがある彼の貧しく厳しい生い立ち、レアル・マドリードへの適応やブラジル代表定着など、純粋にスポーツ選手としての壁、そのすべてを乗り越えてここまで来たというのに、なぜ今、こんなことのために苦しまなければならないのか。人として、全く必要のないはずの戦いのために、強くならざるを得ない状況が胸をついたのだ。
彼は答えた。
「僕の家族や、日々苦しんでいるすべての人々だよ。僕が住んでいた故郷は、いつでも大変だった。あそこにいる人たちには、どこに向かって頑張ればいいのか、将来にあまり見通しが持てない。だから、あそこを出て行くことができたことだけで、自分は勝者なんだと思う。そして、家族を代表し、ブラジルを代表してここにいるだけでも、僕は1人の勝者なんだ。僕の故郷からここまで到達するのは、すごく難しいことだから。でも、だからこそ僕は戦うんだ。そして、今この時をより良く生きて、いつでも笑っていたい」
彼に強さを与えているのは、優しい記憶以上に、自分が乗り越えて来たもの、そして、今の自分が戦うべきだと彼自身が思う現状だ。ヴィニシウスがこの先、家族や友達の幸せのため、チームの勝利のため、サポーターの歓喜のために、1人のスポーツ選手として戦うことに専念できる日が来ることを願ってやまない。
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。