宮本新会長を巡る電光石火のサプライズ 田嶋体制に見られなかった日本サッカー界の“変革”とは?【コラム】

宮本恒靖JFA新会長【写真:Getty Images】
宮本恒靖JFA新会長【写真:Getty Images】

JFA新会長就任後、わずか3日後にJリーグ理事の“留任”が発表

 戦後では史上最年少となる47歳の若さで、さらに元Jリーガーとしては初めて日本サッカー協会(JFA)のトップに就任してからわずか3日後。宮本恒靖新会長を巡るサプライズがあった。

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 3月26日に都内で開催されたJリーグ理事会で、JFAの宮本会長の理事就任が承認された。これまではJリーグの歴代チェアマンがJFA副会長を務め、いま現在も野々村芳和チェアマンが3人のJFA副会長の1人に名を連ねている。しかし、逆の形、つまりJFAのトップがJリーグの執行部入りするのは初めてとなる。

 サプライズへの予兆はあった。23日に都内で開催されたJFA定時評議員会と臨時理事会で第15代会長に正式に就任した宮本氏は、直後に行われた就任会見でこんな言葉を残していたからだ。

「『いままではこうだったから、今後もこうじゃないか』というようなものをあまり考えない、というか、気にすることなく新しいものにトライしていく。それが自分の色なのかなと思っています」

 2022年3月に理事としてJFA入りした宮本氏は、昨年2月に会長、副会長に次ぐポストの専務理事に就任。同時にJリーグ理事も兼任してきただけに、今回のJリーグ人事は形の上では「留任」となる。しかし、肩書きがJFAの専務理事から会長に変わった状況を受けて、Jリーグ側もあえて「追加内定」として発表した。4月16日のJリーグ社員総会で正式決定され、任期はJFA会長と同じく2年間となる。

 Jリーグは昨年12月の理事会で、現行の2月開幕を8月開幕とする「秋春制」へのシーズン移行を、次回ワールドカップ(W杯)後の2026-27シーズンから実施することを全会一致で可決した。これまで何度も検討され、その都度、見送られてきた長年の懸案事項が決着を見たなかで、会見に臨んだ野々村チェアマンはこう語っている。

「シーズン移行が決まったからといって、すべてがスムーズにいくとは思っていません」

 山積する課題を解決していく上で、継続的な議論は必要不可欠となる。理事の一人としてシーズン移行に賛成した宮本氏は、肩書きがJFA会長になってもJリーグ理事として議論に参加。51歳と年齢が近い野々村チェアマンとの相互的な協力関係を強めながら、JFAとJ リーグが両輪となって日本サッカー界をけん引していく。

 JFAとJリーグの距離の近さは、4期8年を務めた田嶋幸三前会長時代にはなかなか見られないものだった。新会長就任からわずか3日後と、まさに電光石火で宮本氏が打ち出した異例とも言える新機軸は、そのまま就任会見で掲げた3つのマニフェストの1つである「商業価値を高める試み」へと繋がっていく。

 Jリーグがシーズン移行を決めた背景には、世界に伍する実力と規模を目指す、という将来的な構想がある。それらを成就させれば、おのずと日本サッカー界全体の価値も向上。宮本会長がマニフェストの具体策として掲げる「マーケティングの見直しを行って収入増へ繋げる」や「パートナー企業との共創で新たな価値を生み出す」、あるいは「サッカーを通して社会課題を解決する」といった目標への第一歩となっていく。

 残る2つのマニフェストとして「競技面での成果」と「女子サッカーの拡大」が掲げられた。

 前者は「男子のA代表はW杯での最高成績となるベスト8以上」と「なでしこジャパンの世界一奪回」が、後者では「2031年の女子W杯の日本招致」が具体的な目標として掲げられている。

 実はJFAは2023年の女子W杯日本招致を目指していたが、投票直前に2020年6月に招致活動から撤退している。当時はコロナ禍で東京五輪開催が2021年夏へ1年延期された直後で、短い期間に大規模な世界大会を2度開催する状況に賛同が得られにくくなったと田嶋前会長が判断した経緯があった。

 最終的に昨夏の女子W杯は、南半球のオーストラリアとニュージーランドでの共催となった。スペインがイングランドを撃破し、初めて世界一になった決勝を当時専務理事だった宮本氏は観戦している。

宮本新会長が見据える女子サッカー界

「7万5000人を超える観客がスタジアムに集まった雰囲気と、両国の代表選手たちがビジョンに映ったときに感じた、アスリートとしてかっこいいと思えた空気。FIFAのジャンニ・インファンティーノ会長が『女子サッカーには世界的な投資の流れがある』と話しているように、いまの女子サッカー界にはまだまだ伸びしろといったものがある。日本にもそういった世界観があるようにしていきたい」

 決勝会場だったシドニーのスタジアム・オーストラリアで目の当たりにした光景を振り返った宮本会長は、そのときの感動がJFAとして再び女子W杯を招致する、というマニフェストに繋がったと説明している。

「いま現在だけを切り取ると、日本のWEリーグも集客でかなり苦しんでいる、というのもあります。そういった状況をぜひとも変えていき、WEリーグやなでしこリーグの地位向上や、たくさんの女子選手がプレーできるような環境に繋げていきたい。そういう思いを持って2031年の招致を目指していきたい」

 宮本会長を含めた15人の理事のうち、現役の女子プロサッカー選手として初入閣した元なでしこジャパンのFW川澄奈穂美(アルビレックス新潟レディース)を含めた6人を女性が占めている。日本女子プロサッカーリーグの高田春奈チェアも、柔道のソウル五輪銅メダリスト、山口香氏とともに常務理事に名を連ねた。

 高田チェアは田嶋体制では4人の副会長の1人だったが、これはJFAが進めてきた理事会体制及び業務執行体制改革の結果として、理事の定数が最大30人から同15人に、同時に副会長も4人以内から3人以内に削減されたことに伴う措置。副会長に女性がいなくなったのは、何ら問題ではないとJFA側は説明している。

 むしろスポーツ庁が2019年に定めたスポーツ団体ガバナンスコードで定められている、全理事における女性理事40%以上を満たした点がクローズアップされる。マニフェストで掲げた「女子サッカーの拡大」を、宮本体制下でさらに力強く推し進めていく方針が色濃く反映された顔ぶれと言っていい。

 就任会見の冒頭、15分間あまりに及んだ所信表明で、宮本新会長は同じフレーズを2度繰り返した。

「これまでも日本サッカー界のために、しっかり仕事をしようという思いでやってきました。今後はさらにその気持ちを強く持って、自分一人だけではなかなかできないこともあると思っているので、できるだけたくさんの人を巻き込み、メディアのみなさんの力も必要としながら、日本のサッカーの発展に貢献していきたい」

 今後は業務執行の権限を委譲する、JFA内の専門委員会や各本部とのコミュニケーションを密にしながら、志の高い同志たちを積極的に登用する人事を加速させていく。一方でこれまでのJFAに欠けていた、発信と露出の機会を工夫し、より多く創出していく上で自らが前面に出るのか、と問われた宮本会長はこう語った。

「現段階で具体的にこれをする、と決めているわけではないですけど、もっと身近で、もっと多くのコミュニケーションが取れるような組織になることに自分が貢献できるのであれば、やっていきたいと思っています」

 現役時代はW杯に2度出場。2002年の日韓共催大会では、黒色のフェイスガードを装着して最終ラインを統率する姿が「バットマンそっくりだ」と一世を風靡した。続く2006年ドイツ大会ではキャプテンも務めた知名度の高さを生かして、ファン・サポーターとの間を積極的に繋ぐ役割を担うことも厭わない。JFA会長とJリーグ理事との二刀流拝命を含めて、既成概念にとらわれない第一歩を宮本新会長は力強く踏み出している。

(藤江直人 / Fujie Naoto)



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藤江直人

ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。

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