アウェーの地・北朝鮮は「宇宙に行く」感覚で 13年前とは違う森保J“Z世代”を阻む障害【コラム】

現在の日本代表と13年前を比較【写真:Getty Images & ロイター】
現在の日本代表と13年前を比較【写真:Getty Images & ロイター】

13年前は5時間の足止めやラフプレーで大苦戦

 1~2月のアジアカップ2023(カタール)で優勝候補筆頭と言われながら、まさかの8強止まりに終わった森保ジャパン。隣国・韓国のようにユルゲン・クリンスマン監督が更迭されるほどの事態には陥らなかったものの、昨年の高評価は一瞬にして崩れ去り、厳しい目線で見られるようになった。

 そんなチームにとって、3月21、26日に行われる2026年北中米ワールドカップ(W杯)アジア2次予選・北朝鮮戦(ホーム&アウェー)は再起をかけた重要な2連戦。相手が日本に対して特別な闘志を燃やしている北朝鮮であり、しかも、第2戦は敵地・平壌での一戦ということで、一筋縄では行きそうもない。

 両国の対戦成績は8勝4分7敗。平壌でのゲームに限定すると2分2敗と未勝利で、日本にとっては非常に嫌なデータだ。

 直近のアウェー戦は2011年11月15日の2014年ブラジルW杯アジア3次予選(平壌)。その前のアウェーは2005年6月8日の2006年ドイツW杯アジア最終予選だったが、この時は平壌開催の予定が、直前のイラン戦での北朝鮮観衆の暴徒化によって中立地・タイに変更。無観客試合となっている。

 日本のサッカーファンや関係者の記憶に残っているのは、上記2試合だろう。そこで今一度、それぞれのゲームを振り返ってみることにする。

 まず2005年のタイでのゲームはバンコクのナショナルスタジアム(スパチャラサイ)で行われた。無観客ということで日本の熱心なサポーターは中に入れず、塀の外から中に聞こえるように「オ~、バモ・ニッポン~」のチャントを歌い続けるという涙ぐましい努力があったほどだ。

 だが、中に入ってみると、スタンドには報道陣や北朝鮮領事館関係者など2000人近い人がいて、無観客には程遠い状況だった。ただ、日本にしてみれば、熱狂的な声援を送ってくる相手サポーターがいないのはラッキーだ。実際、そこまで苦しむことなく柳沢敦と大黒将志の2発で勝利した。

 指揮を執ったジーコ監督は「選手には無観客を忘れろと言った。ピッチでのことだけに集中して、周りの異常な雰囲気を気にするなと言った。プレーだけに集中するんだといって送り出した」と強調していたが、その言葉通りのパフォーマンスを見せられた一戦だったと言っていい。

 逆に2011年の平壌での試合は2005年とは対照的な形になった。試合前からアクシデントの連続だったからだ。選手たちはその前のアウェー・タジキスタン戦(タシケント)を終えて北京へ移動。試合前日の午後に空港を出発したが、その時点でパソコンや携帯電話を置いていくというあり得ない渡航を強いられた。

 平壌空港に着くと、今度は入国審査や税関手続きで5時間近くを要する事態に。前日練習開始が夜遅くなり、十分な調整ができないまま、本番を迎える羽目になった。

 当時の金日成競技場は人工芝。しかも約5万人の大観衆が埋め尽くし、日本は完全アウェーの状況を強いられた。すでに3次予選突破が決まっていたこともあり、アルベルト・ザッケローニ監督は川島永嗣や内田篤人、吉田麻也、遠藤保仁ら主力の約半数を外したが、その影響もあったのか、日本はギアが上がりきらず、大苦戦を強いられた。

 相手の気迫は凄まじく、ラフプレーまがいのチャージが至るところで起き、長谷部誠らも本当にやりづらかったに違いない。異様なムードに飲まれたのか、後半開始5分にフリーキック(FK)からヘディングを浴び失点。1点のビハインドを跳ね返せないまま、黒星を喫する格好となったのだ。

「向こうは3次予選敗退が決まり、日本との試合だけに懸けていた。イエローカードを多くもらっても勝ちたいと思っていた」とザッケローニ監督も振り返ったというが、北朝鮮が目の色を変えて日本に挑んでくるのは想定の範囲内。今回も同様だろう。

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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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