森保J期待の右SBの“異変” アジア杯低調の菅原由勢に何が起こったのか【コラム】

右サイドバックで出場した菅原由勢【写真:Getty Images】
右サイドバックで出場した菅原由勢【写真:Getty Images】

ベトナム戦、イラク戦と本来の持ち味を発揮できていない菅原にフォーカス

 5度目の戴冠を目指してアジアカップ(カタール大会)に突入しながら、1月14日の初戦・ベトナム戦で一時リードを許すという不本意なスタートを切った日本。結局、4-2で初戦白星発進は叶ったものの、19日のイラク戦は同じようにはいかなかった。

「相手も僕らがワールドカップ(W杯)でドイツとやるように、王者を相手にやってくる感じ。『一泡吹かせてやろう』という戦術でやってきた。立ち上がりからかなり押し込んできて、対人もすごく強かったので、負けに値する戦いだったと思います」と堂安律(フライブルク)も発言。1-2の敗戦は起こるべくして起きた自体だったと言っていい。

 この日の日本は伊東純也(スタッド・ランス)、菅原由勢(AZアルクマール)が縦関係を形成する右サイドを狙い撃ちされ、徹底的に押し込まれた。相手にしてみれば「2022年カタールW杯アジア最終予選の救世主で、リーグ・アンでも右の槍として活躍する伊東を封じ込めるためにも、蹴り込んで低い位置に下げさせる方がベター」という意図があったのだろう。そこでしっかり守って、右から攻められればよかったが、日本は劣勢を強いられ、2失点ともこちらのサイドを攻略された結果、奪われてしまった。

 前半の開始早々の5分の1失点目は、鈴木彩艶(シント=トロイデン)が相手キーマンの1人である17番のアリ・ジャシムのミドルシュートをパンチングし、与えたスローインからだった。「ボールがブレるボールだったので確実に弾こうと思った」という鈴木の判断自体は間違っていなかったが、問題はその後。スローインが4番のサード・ナディクに渡った時、誰もマークに行っておらず、簡単にサイドを変えられた。18番の大型FWアイメン・フセインが競り、25番の左SBアーメド・アルハッジャージから再びアリ・ジャシムへ。そこから上げられたクロスを鈴木が右手で弾いたが、不運にもフセインの前に飛び、押し込まれてしまったのだ。

「ボールが右に流れてきて、インサイドに走ってくるのは分かってたんで。そうなる前にスローインのところでの守備の仕方がもっともっとできたと思うし、ボールが来てからの間合いも寄せれたかなと思う」と25番への寄せが弱くなった菅原が反省していたが、すべてが後手に回ったのである。

 このプレーを機に、菅原の守備が不安定になり、より一層、イラクに突かれるようになった。最たるものが前半終了間際の2失点目だ。遠藤航(リバプール)がボールを失い、左に展開された瞬間、菅原は25番と17番が交錯したところに食いついてしまい、アッサリと25番の突破を許した。それが18番の2失点目の発端になったのは紛れもない事実だ。

「サイドハーフにボールが入ったら対応していいよって言われたんで、そこは自信持って行っていた。ただ、最終的に2失点目につながってしまったんで、自分に責任がある」と本人もうなだれるしかなかったが、あのような対応は2023年から第2次森保ジャパンに定着してから一度も見られなかったもの。2019年夏から5シーズン戦っているAZでも皆無に近い。内田篤人(JFAロールモデルコーチ)、酒井宏樹(浦和レッズ)といった偉大な右SB(サイドバック)の系譜を継ぐ存在と目されてきた菅原と到底、思えないパフォーマンスだというしかない。

「2023年に8連勝しましたけど、公式戦はまた別。公式戦で優勝するからこそ『日本代表は強いね』と言ってもらえる。ホントにそれ以外考えていない」と大会前の昨年12月にも語気を強めていた菅原だが、今大会に入ってからどこかおかしい。ベトナム戦でも1対1の対応で後手を踏んだり、相手の2点目につながったフリーキック(FK)を献上するなど、ピリッとしないプレーが目に付く。ここまでドイツやチュニジア相手に頭脳的なポジショニングや強固な守備力が光っていただけに、この低調ぶりは大いに気がかりだ。

背後を取られ、ピンチのシーンもあった【写真:ロイター】
背後を取られ、ピンチのシーンもあった【写真:ロイター】

若いころからアジア大会の経験を積んでいる菅原へ起こっている試練

 2016年のAFC・U-16選手権(インド)、2018年のAFC・U-19選手権(インドネシア)など、年代別代表時代から数多くのアジアの戦いを経験してきた菅原。だからこそ、相手が猛然と日本を倒しに来ることはよく理解しているはずだ。が、A代表で挑むアジアカップは迫力や脅威は想像以上だと感じているのかもしれない。菅原にとっては誤算が続いているのだろう。

 ここでズルズル行ってしまったら、2023年に築いた日本代表右SBの地位も揺らぎかねないし、欧州でのステップアップも遠のくことになる。UEFAチャンピオンズリーグに参戦しているチームメイトや対戦相手を見るたびに、彼は「自分はまだオランダリーグにいる。『何してるんだ、自分は。こんなところにいちゃダメだ』と焦燥感を覚えてきたという。だからこそ、いち早く、欧州5大リーグのビッグクラブに上り詰めないといけない。今回のアジアカップは絶好のアピールの場だったはずだ。

 けれども、ベトナム戦、イラク戦の出来では、菅原の評価が上がるとはお世辞にも言えない。彼自身が厳しい事実を誰よりも痛感しているに違いないが、まだ大会が終わったわけではない。立て直しは不可能ではないし、それを実際にやらなければ、日本にとっても本人にとっても大きすぎるダメージになってしまうのだ。

 イラク戦の1-2という歴史的黒星を受け、日本のグループD1位通過はなくなった。24日の第3戦・インドネシア戦に勝って2位抜けした場合には、ラウンド16で韓国との直接対決の可能性も。そこからイラン、カタール、オーストラリアなどの強豪との対戦が続くことになるだろう。試合間隔もタイトになるが、どこと当たったとしても結局のところ、すべて勝たなければ頂点には立てない。そう割り切って前向きになる能力に菅原は長けている。いち早くポジティブになって、停滞感を打破することが肝要なのである。

「立て直すしかないですし、状況的にも次は勝たなきゃいけないと思うんで、しっかりともう一度自分がやらなきゃいけないことを整理して、自分がチームのためにできることを考えながらやれたらなと思います」と背番号2は毅然と前を向いた。だったら言葉通り、アクションを起こしてほしい。

 2019年からの百戦錬磨の欧州経験と日本人離れしたメンタル、明るいキャラクターを生かす時は今しかない。正念場に立たされた菅原由勢の脅威のリバウンドメンタリティーと圧倒的底力を見せつけ、本来の彼に戻ってくれることを心から願う。

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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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