「焦りはない」 南野拓実の言葉が示す成長の証…「何で呼ばへんのや」から増した精神的な逞しさ【コラム】

タイ戦で1ゴールを決めた南野拓実【写真:徳原隆元】
タイ戦で1ゴールを決めた南野拓実【写真:徳原隆元】

前回大会では1ゴールで「意味ない」

 2024年1月1日に東京・国立競技場で行われたタイ代表との親善試合。史上初の元日開催の代表戦として注目度が高まった。

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 その試合で2022年2月のサウジアラビア戦以来の代表ゴールを奪ったのが、南野拓実(ASモナコ)だった。

「ここで1点取れてホッとしているというよりは、『よっしゃ』というか。やっぱり1月1日で新年をいい形でスタートするためにゴールを決めたいなと思っていました」と本人も独特の言い回しで喜びを表現した。

 ピッチに立ったのは、後半23分から。伊東純也(スタッド・ランス)の右サイドに堂安律(フライブルク)が移動し、南野がセカンドトップの位置に入る形ではあったが、彼らは頻繁にポジションチェンジを繰り返し、どちらもFWに近いプレーを披露した。

 その中で南野は登場直後の右コーナーキック(CK)からの流れで、堂安の鋭いタテパスを受け、インサイドにターンして右足シュート。これは紛れもなく決定機だったが、惜しくも枠を超えていった。さらに終盤には自ら相手DFからボールを奪い、そのまま一目散にゴールに向かい、GKと1対1に。けれども、これも決めきれず、嫌なムードも漂いかけた。

 だからこそ、後半アディショナルタイムの5点目は大きな意味があった。堂安に預け、リターンをもらって決めきったことで、ようやく代表で完全復活した実感を持てたのではないか。

 しかしながら、本人は「ゴール取れてないことに対して焦りは別になかった」と全く動じていなかったという。

 そういうマインドは、2019年の前回アジアカップ(UAE)に参戦した頃との明確な違いだろう。当時の南野は代表に定着したばかりで、「自分がやらなければいけない」という気負いと過度な責任感でいっぱいいっぱいだったように見受けられた。

 バヒド・ハリルホジッチ監督時代の2015年10月のイラン戦(テヘラン)で初キャップを飾りながら、わずか2試合に使われただけで選外。オーストリア1部ザルツブルクで実績を積み重ねていたにもかかわらず、代表指揮官に冷遇され続け、「何で俺を呼ばへんのや」と悔しさを爆発させたこともあった。2018年ロシア・ワールドカップ(W杯)も蚊帳の外。そんな苦労人にしてみれば、千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。特別な思いを胸に、5年前の大舞台に挑んだに違いない。

 高ぶりすぎた精神状態が空回りの原因になったのか、南野は案の定、点を取れない日々に苦しむことになった。最初はメディア対応も気さくに応じていたのに、徐々に口を開かなくなり、ミックスゾーン素通りを連発した。もともと明るくオープンなタイプだけに、この豹変ぶりには我々も面食らったほどだ。

 最終的に決勝・カタール戦で大会初ゴールを挙げたものの、時すでに遅し。日本は1-3で敗れ、5度目のアジア王者を逃してしまう。

「この大会は優勝しないと意味ない大会だったと思いますし、悔しい気持ちでいっぱいですね。自分のゴール? 意味、ないっすね、負けたので(苦笑)」と本人は失望感に打ちひしがれていたが、無言になった理由については語らなかった。南野自身の中では複雑な感情が押し寄せて、うまく説明できなかったのかもしれないが、とにかく不完全燃焼だったことだけは確かだろう。

試合途中からキャプテンマークも巻いた【写真:徳原隆元】
試合途中からキャプテンマークも巻いた【写真:徳原隆元】

19歳で海外へ渡り今年で10年目…アジア杯からスタートする20代ラストイヤー

 そこからの5年間は紆余曲折の連続だった。クラブレベルでは2020年1月に名門・リバプールへのステップアップを掴みながら活躍できず、2020-21シーズン後半戦はサウサンプトンへの半年間のレンタルを経験。復帰後も定位置を掴みきれずに、2022年夏にはモナコへ新天地を求めた。

 そのモナコで調子を上げ、満を持して2022年カタールW杯に参戦するはずだったが、まさかの不調に陥り、夢に見続けた世界舞台で先発落ち。しかもクロアチア戦でのPK失敗という屈辱を味わった。その後、代表からも遠ざかったものの、今季モナコでの復調が森保一監督に認められ、2023年10月から代表に戻り、今回のアジア杯参戦となった。

「個人的にはアジア杯に選ばれたら、確かに前回の大会よりも多分僕だけじゃなくてチームとしての自信、個人の選手たちが自分のチームで積み重ねてきた自信っていうのは全然違うなというふうには感じます」

 南野本人も清々しい表情でこう語っていた。欧州5大リーグで丸4年を戦い抜き、W杯の魔物にも取りつかれたアタッカーにしてみれば、アジアカップはそこまで追い込まれるような舞台ではなくなったのかもしれない。むしろ「リラックスして楽しんで勝ちにいく」くらいの感覚で挑めるのではないか。

 実際、代表復帰後の南野に焦燥感やギリギリ感といったものはなくなった印象だ。「自分が点を取れなくてもチームが勝てばそれでいい」という開き直りがプラスの方向に出ているのだろう。

 実際、2019年アジアカップ時点の南野と、現在では、チーム内の立ち位置も大きく異なる。今は伊東純也(スタッド・ランス)、三笘薫(ブライトン)の両看板サイドアタッカーを筆頭に複数のキーマンがいる。今季スペイン1部ですでに6ゴールを挙げている久保建英(レアル・ソシエダ)もいるし、堂安もタイ戦で新たな役割を見出し、いい状態でカタールに向かえそうだ。

 そういう状況だから、南野すべてを背負う必要は全くない。自分のやるべきことを自然体で続けることで必ず希望は見えてくる。ゴール数もおのずと多くなるはず。南野の良さが出るシーンも増えてくるだろう。

 大会中の1月16日には29歳の誕生日を迎える。20代ラストイヤーに向け、本人はこんな抱負を口にした。

「19(歳)で海外行った時に『10年、あっちでやれれば大したもんやな』って思っていたんですけど、『そろそろ10年経つな』というのは最近感じてて。でも『まだ10年で終わるつもりはないな』というのが今の気持ち。少しでも長くトップレベルでプレーするために自分がどういう選手かというのをアジア杯でしっかり示せればいいなと思います」

 リバプールからモナコに環境を移したこともあり「自分は全然まだまだ上り詰めていない」という感覚を持っているという南野。30代になってグングン成長している伊東のような選手もいるだけに、南野もここからもう1度、最高峰クラブに赴ける可能性もないとは言えない。その布石を打つ意味でも、2024年を最高の年にしたいところだ。

 2度目のアジア杯で異彩を放つ彼の姿を楽しみに待ちたい。

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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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