「僕の心の半分は白と赤」 ブラジル出身の“鉄人”が抱く「日本で監督をする」目標

ラモス瑠偉と競り合うサントス【写真:Getty Images】
ラモス瑠偉と競り合うサントス【写真:Getty Images】

【あのブラジル人元Jリーガーは今?】サントス(元鹿島、清水、神戸、群馬):前編――農場運営に携わりながらサッカー指導

 ブラジル人MFサントスは1992年の鹿島アントラーズ移籍に始まり、清水エスパルス、ヴィッセル神戸、ザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)でプレーし、12年間を日本で過ごした。「鉄人」のニックネームで愛された彼は、その強靭な肉体と、人とのつながりを大切にする温かい心もそのままに、ブラジルで忙しく活動している。

 現役引退後のサントスは、故郷ゴイアスで家族のために購入した農場の運営にも携わりながら、そのプロ人生で一貫して手がけているのは、サッカーの指導だ。

「日本から帰国して、まずは体育大学へ行ったんだ。現代サッカーで監督をするためには、戦術・技術面だけでなく、フィジカル面も深く理解できれば、大きな助けになるからね。その後、ブラジルで初めてできた大学のプロチームや、ボタフォゴのU-20チームも指導した」

 日本でも2005年に長谷川健太監督率いる清水エスパルスで、また2011年には黒崎久志監督が指揮するアルビレックス新潟で、トップチームのコーチを務めた。

「いい経験だったよ。同時に難しいことも分かっていた。清水の場合、当時苦戦していて、そこに飛び込んだ健太も、Jリーグの監督は初挑戦だった。そのなかで、クラブは高校や大学の新卒で、その後も長く清水で活躍できるであろうポテンシャルの高い選手たちを集めて、チームのベースを再構築するところから始めたんだ。僕らは意欲的に取り組んだし、その頃、のちに日本代表にもなった岡崎(慎司)のような選手も育ってきたんだよ」

 2017年からは、リオデジャネイロにあるセッチ・ジ・アブリウというクラブの監督も務めている。

「これまでチャンスに恵まれなかった選手でも、ここで練習し、試合に出ていれば、よりいいクラブのスカウトの目に留まるチャンスがあるかもしれない。そのためにコンディションを維持し続けたいという、若くて意欲的な選手たちのためのチームなんだ。ただ、会長が経費をほとんど自分で負担して、ギリギリで運営している社会活動のようなクラブでね。僕も含めてスタッフに給料は出ないから、GKコーチやフィジカルコーチが仕事で来られない日は、監督の僕が指導するんだ。それでも、やるべきだと思うからやっている」

サントスは鹿島を応援中【写真:藤原清美】
サントスは鹿島を応援中【写真:藤原清美】

古巣・鹿島は「根っ子に勝者のスピリットを持ったチーム」

 同時に、プロチームの監督として本格的に仕事をするために、ブラジルサッカー連盟(CBF)の監督ライセンスも取得した。

「ブラジル全国選手権1部でも指揮を執れる、Aライセンスを取得したんだ。講義や合宿、レポート提出のほかに、アトレチコ・ゴイアニエンセでの実地研修にも通った。鹿島で一緒にプレーした親友ジョルジーニョが監督を務めていた時期で、チームはコパ・スウアメリカーナ(南米カップ)準決勝まで勝ち進んでいたんだ。そんな彼から多くを学べたのはすごく嬉しいことだった」

 彼は現役時代、どのチームを去る時にも、自分が貢献できたことへの満足感と同時に、まだこのチームのためにやれることがある、という気持ちがあったのだと言う。

「鹿島はそういう意味では自分が入る空きがない。ここ数年、タイトルから遠ざかっているけど、根っ子に勝者のスピリットを持ったチームだから。2016年、石井(正忠)が監督だった時に鹿島を訪ねたんだ。チームが不安定になっていた10月頃だった。だから、僕は選手やスタッフに話したんだ。『いい結果が出ない時には、自信を失ったり迷うこともあるけど、サッカーでは迷う時間はない。頭に、心に、迷いが生まれる隙を与えるな。ただ修正し、もっと献身し、強化すればいいんだ。サッカーでは自信が生命線になる』。その後のシーズン終盤の変化は速かったよね。クラブワールドカップ(W杯)で決勝進出し、レアル・マドリードに対して素晴らしい試合をした。そういう歴史を、チームに思い出させるのも大事なことだよ」

 彼が今も鹿島を信じる理由は、ほかにもある。

「毎年ここリオデジャネイロで、ジーコが主催しているU-15日本ブラジル友好カップという伝統的な大会があるんだ。ブラジル全国のビッグクラブに日本のチームが加わって優勝を争う、国内でも非常に重要視されている大会だ。僕は毎年見ているけど、日本のチームの成長たるや。特に今年準決勝に進んだ鹿島も、その戦績に値するコンディションで戦っていた。それに、少年たちの規律正しさ、チーム意識、限界を越えて頑張る姿勢は、日本文化の賜物だよね。子供も大人もそうだ。トップチームの選手たちも、日々その姿勢を更新し続けることだよ」

サントス家族と(2021年)【写真:本人提供】
サントス家族と(2021年)【写真:本人提供】

「日本のサポーターが恋しい」

 清水に対しては、もっと手助けしたいという思いが、今も強い。

「清水では、みんなで1996年にクラブ初タイトルとなるナビスコカップ優勝を達成した。でも、もっと多くを獲得できるクラブだから、今度は違った役割で貢献したいんだ。監督、アシスタントコーチ、コーディネーター……、今でもそれを夢として持っている。近年の清水は、再び栄光を勝ち獲るための助走が続いて、今年は1年でのJ1復帰を果たすことができなかった。でも、サッカーではやり直す機会を得られるんだ。今日の試合に敗れても、その数日後には次の試合がある。勝つために頑張るチャンスがある。そうやって日ごとに自分を磨くための、手助けをしたい」

 古巣のために熱く語る彼に、彼自身の今後の目標を聞いた。

「僕の目標の1つは日本で監督をすることだ。僕の心の半分は緑と黄、半分は白と赤。2つの国の色だからね。何より日本のサポーターが恋しいんだ。対戦相手であっても、いいプレーに喝采を送る、あの『選手のために』というスピリットと、サッカーそのものを愛する気持ちの深さは、思い出しても誇らしくなる。そして、僕と僕の家族を、あのチームカラーを背負って戦う一員として受け入れてくれた、鹿島、清水、神戸、草津のサポーターには感謝するばかりだよ……」

 そこで声を詰まらせた彼に、このインタビューはまだ終わりではなく、このあとは日本での思い出を話してほしいのだと言うと、サントスは笑った。

「チームメイトやサポーターの話をすると、気持ちが高ぶってしまう。でも、楽しい話がたくさんあるよ。さぁ始めよう(笑)」

[プロフィール]
サントス/1960年12月9日生まれ、ブラジル出身。ゴイアス―ノボリゾンチーノ―ボタフォゴ―カステロ・ブランコ(いずれもブラジル)―鹿島―清水―神戸―草津(群馬)。J1リーグ通算265試合33得点。日本では4クラブを渡り歩き、2002年にJリーグ功労選手賞も受賞した中盤のスペシャリスト。誠実な人柄から多くの人に慕われた。

(藤原清美 / Kiyomi Fujiwara)



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藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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