ファン・ペルシーが目撃した小野伸二の伝説 現地で本人直撃…フェイエノールト時代を回顧「師匠だった」【現場発】
現役引退をする小野伸二についてファン・ペルシーがオランダで口を開いた
北海道コンサドーレ札幌の元日本代表MF小野伸二は12月3日のJ1リーグ最終節、古巣の浦和レッズ戦を最後に現役を引退する。44歳の天才MFが迎えるラストマッチに向け、「FOOTBALL ZONE」では「小野伸二特集」を展開する。今回は、かつてオランダの名門フェイエノールトで共闘した元同国代表FWロビン・ファン・ペルシー氏に現地で直撃。思い出を語ってもらった。(取材・文=中田徹)
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「私は昔、フェイエノールトで彼とプレーしました。シンジ・オノは私にとって師匠(レールマイスター/leermeister)だったんです」
小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)のラストゲームが今週末に迫っていることを伝えると、元オランダ代表FWロビン・ファン・ペルシー氏は即座に答えた。
2014年ブラジル・ワールドカップ(W杯)のスペイン戦で“ドルフィン・ダイビングヘッド”と名付けられたスーパーゴールなど天才的なプレーでオランダ代表、アーセナル、マンチェスター・ユナイテッド、フェイエノールトでレジェンドの地位を築いたファン・ペルシーは今、U-18、U-19フェイエノールトの監督を務めている。11月28日はUEFAユースリーグでかつてのライバル、フェルナンド・トーレス率いるU-19アトレティコ・マドリードと対戦したものの、0-1で惜敗し、首位の座から陥落してしまった。
「トーレス監督は4-3-3、4-2-3-1。4-4-2など多彩なシステムを駆使するタイプで、今日は我々に合わせて5-3-2で挑んできた。これは私たちにとって光栄なこと。私は彼のやり方をリスペクトしています。しかしフェイエノールトは相手に合わせることなくサッカーをすることと、結果を求めることの両立を求めるのがスタイルです。負けてしまったのは悔しいけれど、選手たちにとってはこれも学びのプロセス。どんどんチームをアップデートしてレベルアップを図りたい」
オランダ人記者たちとのやり取りが終わって一拍置いてから、私は控えめに手を上げる。そのスタイルで私はファン・ペルシー監督に「現役時代にUEFAユースリーグがあったら、あなたはより早く成熟したプレーヤーになれたのでは?」(対セルティック戦後)、「オランダのチームとしては珍しく、U-19&U-18フェイエノールトはゾーンディフェンスを採用していますね?」(対ラツィオ戦後)と質問を重ねてきたのは、小野伸二引退に関するコメントを引き出すためだった。
「あなたは2人のシンジをご存知ですよね? そのうち1人が今週末、現役最後の試合を迎えます。つまり今回はシンジ・オノのことをお尋ねしたい。しかしここはUEFAユースリーグの記者会見の場。私はちょっとトリックを使って質問しないといけません」
この一言で会見場に笑いが広がる。
「フェイエノールトの若い選手たちは、シンジから何を学ぶことが出来るでしょうか? 例えばテクニック、メンタル、メディア&サポーターのプレッシャーといかに対峙するか――といったことなどです」
この質問に対する答えが冒頭の「シンジ・オノは私の師匠だった」というコメントだった。
「彼のテクニックは素晴らしく、細かなタッチでボールを落とさないんだ。プレッシャーなんて関係ない」
小野伸二伝説のボールリフティング。それは2002年3月、UEFAカップ準々決勝、PSVとの第2レグ。PK戦の第1キッカー、彼はリフティングしながらペナルティースポットに向かい、落ち着き払ったシュートで責任を果たした。この大胆不敵な小野の振る舞いと正確なPKにチームの緊張がほぐれ、ベルト・ファン・マルワイク監督も「このPK戦は勝てる」と手応えを掴んだという。
ファン・ペルシーは続ける。
「何より素晴らしかったのはオランダ語をたった8か月でマスターしたこと。本当にあっという間に喋れるようになっていた。とても信じられなかった」
今もオランダで愛されるシンジ 「戻ってくるのを期待している」
ファン・ペルシーの言葉を聞き、私は先日インタビューしたばかりの日本人選手が「自分は小野伸二さんがオランダ語を喋っている動画をよく見ていて、『自分も言語をもっと頑張ろう』と気合を入れているんです」という言葉を思い出していた。
2001年夏、ヘリコプターに乗ってスタディオン・フェイエノールト(デ・カイプの通称で親しまれる)のピッチに降り立ってから四半世紀近く、令和5年の今になってもシンジのテクニック、シンジのオランダ語はこの地で語られている。
「シンジは44歳ですよね? 私は今40歳なんですよ(笑)。本当に彼は凄い」
U-19アトレティコ・マドリード戦の後半途中から、ファン・ペルシーの愛息子、シャキール・ファン・ペルシー(17歳)がストライカーのポジションに立ったが、防戦一方の展開だったということもありボールに触る機会がなかなかなかった。
「これではファン・ペルシーの息子の実力が測れないな……」と私は少し残念に思っていると、後半44分に左サイドバックからロングボールが彼に向かっていった。ボールが孤を描いている間、シェキールはマーカーとのポジション争いに勝っていた。この瞬間、時間が止まり、親譲りの長いリーチでオーバーヘッドを試みた。しかし、シュートはGKが飛び出した無人のゴールの枠を捉えることが出来なかった。それでも“無”から絶好機を作り出すプレー、そのシュートのシルエットは、まさにファン・ペルシーだった。
小野伸二を師として仰いだロビン・ファン・ペルシー。そのDNAを持つ子もまた惹かれる何かを持つタレントだった。
オランダ人記者から、「フェイエノールトの人たちはシンジがファルケノールト(フェイエノールトのトレーニング施設)に小野伸二が戻ってくるのを期待している」と聞いた。単に遊びに来るのでもいい。これから指導者ライセンスを取るのなら海外研修の一環で来るのもいいだろう。
今もフェイエノールトのスタジアムのメインエントランスには2002年UEFAカップを制したときの巨大な写真が掲げられている。当時の伝説のチームの主力として、そして4年半に渡って人々を魅了し続けた天才として、小野伸二はフェイエノールトに関わる人々の記憶に今も残っている。
(中田 徹 / Toru Nakata)
中田 徹
なかた・とおる/1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグなどを現地取材、リポートしている。